愛国(3):「日本を誇る」必要があるのか

※この記事は草稿としてボツにしました。Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編にて改稿しています。
偽りの「愛国」、隣国への嫌悪
「愛国」問題を出すとこのように誤読される

 愛国に関する話、第3回です。
 前回記事でのoutisさんのコメントは、私の言いたいことを補足してくださっているのでありがたいと思います。私の提議している内容を的確に表わしてくださっています。
 また、トラックバックしてくださったPurpleMoon blogのMiyaさん、それからひろゆきさんのコメントは真摯な態度の議論であり、傾聴に値するものだと思いました。ただ、その内容には論点のズレがあるように思います。

2004年7月27日02:40| 記事内容分類:政治学| by 松永英明
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outisさんのコメントを転載させていただきます。

中国政府を批判すべきところで中国人を批判するのが間違ってるというだけの話だろうと。あるいは、その特定の行為をした連中を、まさしくその特定の行為ゆえに批判すればいいのであって、そこで民族国籍をはじめとした属性を持ち出すことが間違っている。ここで一連のエントリーへの批判的言説をみると、一貫して、中国政府への批判や警戒感と、中国人への批判や警戒感が混同されている。たとえば日本政府が仮に糞だったとして、それで私が糞だといわれる筋合いはないし、どこかに百万人ほど糞な日本人が仮にいたとして、それで私が巻き添えで糞だといわれる筋合いはない。とくに中共は参政権がかなり制限されているのだから、なおさら政府の排外主義的教育の責任を個人に問うのは間違いだろう。排外主義的教育をうけてもそういう行動を取る人もとらない人もいる。ならば、まさしく、排外主義的行動をとったひとを、それゆえにそのひとたちだけ批判して、そういう行動をとらなかった、すくなくともまだとっていない人々をまきぞえにして、中国人は、あるいは政府と曖昧に一括した形で中国は、という形で非難することは、愚劣以外のものではない。

 ひろゆきさんの話に対して。
 そもそもの前提について説明不足でしたが、私はそもそも「愛国心そのものが必要だと思っていない」のです。だから、「正しい愛国心」を主張したというのではなく、「愛国と憎悪が一体化している人たちは、愛国といいながら、本当に国を愛していることになるの?」という問題提起です。
 結果的に私は生まれ故郷である日本を愛しているつもりだけれども、積極的にこの「国」を愛さなければならないと思う気持ちは特にない。「国」という単位に対する愛を(家族や地域や会社や学校といった単位に対する愛というものについて最初の記事で書いたのと同様)、それを目的として培おうというつもりにはなれません。また、そんな義務も何もないと思います。結果的に愛していても、愛社精神をわざわざ培おうとかいうのはどうも受け付けないわけです。
 念のために言っておくと、「国」に対して何とも思わないというのは、現「政権」が嫌だとかどうとかいうことじゃないですよ。どの政党が与党になろうと話は同じ。「国」という単位が自分の価値観に含まれないんです。
 だから、そもそも「自分の愛国心が正しい」というような主張じゃないんですね。自分はPatriotとしての愛国者じゃないという自覚があるから。でも、もちろん反日でもない。日本を嫌っているわけじゃないし。そもそも国という単位に興味がないんですね。
 だから、重慶の人が「日本人」に対して敵愾心を抱いていたとしても、別にそれで私自身は貶められたと思わない。また、そういう困った教育がなされていて、中国政府のやり方に疑問を持ったとしても、「中国人」全般に対する敵愾心はわき起こってきません。

 私の主張をとばし読みしないでください。例の重慶の反日中国人に対して私は「そういう人たちがいることは悲しいことである」と言ってるわけです。つまり、それがいけないことだと思うとはっきり言っているし、それに抗議してはいけないなんて言ってはいない。私がおかしいんじゃないかと言ってるのは、その話を「中国」という大きな枠組み、あるいは「中国人」という大きな枠組みにすり替え、中国や中国人全般に怒りや嫌悪を感じることに対してなのです。

 自分の国に誇りを持つとか持たないとかいうのは私には関係のないことで、自分自身に誇りを持つか持たないかしかありません。日本人であることに誇りを持つ必要など感じもしないから、逆に自虐もないし、卑屈にもならない。別に「たまたま」生まれた国が日本だったからといって、それは自分自身の能力とも努力とも関係のないことです。優れている人だったら国籍は問わずに尊敬するし、そうでなければかわいそうに思うだけ。
 だから、「土下座外交」や「朝貢外交」も、逆に挑発したり敵対的に接するのも、「何やってんの?」って感じです。
 まあ国旗を踏みにじられたとして、別に私が踏みにじられたわけでもない。そこで挑発に乗って反応するから同列になるんであって、そこで冷静に「あなたは、日本のすべての人たちを盲目的に攻撃するというひどいことをしたんですよ」と諭すならば、悪いのは一方的に国旗を侮蔑した人になるでしょう。喧嘩両成敗にならないためには、自分が冷静であることも必要なわけです。

 そういうわけで、この一連のエントリーが「愛国心という概念にこだわることがそもそも不要」と言っているのが、どうも一部の人にはうまく伝わらないようで、その辺は自分の表現力のなさを残念に思います。というとまた誤解されるのかな。日本を嫌えと言っているわけじゃないですよ。念のため。

 PurpleMoon blogでは、私の言っていることがむしろ中国人に喧嘩を売っているのではないかと思った、と書いてますが、それはある意味、非常に正しいです。なぜなら、重慶で反日行動に出た中国人に対して、そういう行動しかとれないかわいそうな人たちだと言い切っているからです。
 そして、そういった悲しむべき言動に脊髄反射して「だから中国人は」とか「中国は悪い」とかいうように言う日本人に対しても同類扱いしたら、なぜか「おまえは中国人の肩を持つな。反日教育が悪いんだ。中国政府が悪いんだ。お前はお花畑(? 意味不明)だ」という反応が返ってくる。そこはもう理解不能です。

 あと、中国人や韓国人は日本を「憎んでいる」という点、確かにそのとおりでしょう。中国・韓国を馬鹿にしたりする理由もない日本人とはわけが違うかもしれません。しかし、憎み続けることはお互いにとってメリットのないことです。外敵を想定して国内をまとめるという政治的意図を除けば。
 そして、それは現在の反日教育において培われたというのも事実だし、そういう教育はやめてほしいというのも私の望むところです。しかし、すでに植え付けられた反日精神をどう溶かしていくか。それは政治的圧力で解決できることなのでしょうか。
 対日感情というのは、感情です。つまり、心の問題でしょう。喧嘩をしにいく態度で話し合うのか、それとも真摯に相互に敬意を払いつつ、悪いと思うことは悪いと指摘し、すりあわせるところはすりあわせていくというのが、本当の対外関係ではないのか、と思います。また、「日本軍にはひどい目にあったが、君には感謝している」というような事例を増やすことが、「日本」の評価を高めるために必要なことではないかと思います。しかし「俺を嫌うような国は嫌いだ」で解決するでしょうか(これは国名を置き換えても通じる話)。

 最後に一つ別の話をついでに。現在、中国と台湾の関係は非常に悪化しています。そして、その影響で、「台湾独立派」と目された女性歌手・アーメイ(張恵妹)が大陸でのコンサートを妨害され、断念するという事態がありました。これも私は重慶の件と同じく、非常に悲しいことだと思いました。そういうやり方で対立をさらに煽ってどうするんだ、と。
 恵妹と重慶サッカーの件を取り上げている私はすっかり反中分子ですね(笑)。しかし、だからといって「中国人はこれだから……」という話になるのがわからない、と言っているのです。
 私は、台湾にも友人がいるし、香港にもメインランドにもいます。それぞれの政治的立場をぶつけたら、それこそ殴り合いの大げんかになると思われるくらい異質な友人たちですが、でも「朋友」でいられるのです――「一事が万事」「坊主にくけリャ袈裟まで憎い」といった考え方をしない限りは。
 「あんたの政治的考えには賛同できないけど、だけど君のことは好きだよ。でもやっぱりあんたの言ってることは変だと思う」と主張することは可能ですよね。それは、憎悪や嫌悪を増幅させない態度ではないでしょうか。

 とここまで書いて気づいたのだけど「意見が合わない人とは親しくできない」という人が案外いるような気がします。そういう人にとって、「嫌われようと憎まれようと、嫌いにならずに接する」というのはあり得ないことなんでしょうかね。日本人はそういうことが極めて苦手だという気もしますが。
 その人が持っている意見と、その人に対する人格評価は別。そういう発想を受け入れられない人には、私の言ってることがそもそも「お花畑(って何?)」なのかもしれません。それはそれで仕方のないことなのかもしれませんけどね。

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この数日、やっとこのウェブログに復帰できたので久しぶりに松永さんの切れのよい記事を読んでみようと「絵文録ことのは」サイトを見てみたら、「愛国」というテーマでえらい騒ぎに... 続きを読む

コメント(19)

ごめんなさい。飛ばし読みです。時間がないんで。
結局、国という制度にとらわれて人ありきじゃないなと感じますね。こういう議論だと。本当はそこまでではないんでしょうが。
つくづくネットは議論に向かないなって思います。

わかりました。少なくともあなたが「愛国心そのものが必要だと思っていない」方で「そもそも国
という単位に興味がない」という立場に立たれていることは…(しかし「本当の愛国心とは~」と
書かれている最初の記事からそれを理解することはほとんど不可能だとは思いますがね)

 「~(国)人」という概念がもともと当為を含んでいない(つまり「~人」なら~であるべきだ。
とか「~人」なら~をするべきだ、というのはおかしい)という主張になら賛成いたします。また、
「~人」というのはこれこれのものだという判断が、往々にして偏見の温床になってしまうという認識
でしたら、それにも異存はありません。

 しかし単純に「国」を考えなければ紛争はなくなるのでしょうか? また「愛国心」を持たなく
なれば偏見は消え失せるのでしょうか? 私にはそうは思えません。それらはナイーブな思考実験に
見えてしまいます。もし上記のことに近い御主張をなさるつもりで、それを愛国心という事柄から語ろ
うとなさるのでしたら、もう少しじっくりお考えになるべきだと存じます。折角の発言なのですから。

 例えば、国というものは「制度」なんだ。つまり「人間が作った決まりごと」にすぎないんだ。だから
それは「幻想」でしかない(もしくは大事なものではない)んだ。というような論法も目にしたことが
あります。(あなたがそうだとは申しませんよ)
 こうした意見、それは幻想だというような単純な指摘が何かを語るとみえるのは、せいぜいが大学生
ぐらいまでの話で、その幻想がなぜ意味を持っているのか、どう実際に意味をもっているのか、などを
考えるのがその先の話になるのだと思われませんか?
 例えば「お金」(もっとわかりやすく紙幣とかクレジットでもいいですが)、これがまさに皆の幻想に
支えられてあるのは(ちょっと考えれば)誰にでもわかると思います。しかし幻想だからといってお金を
捨てるとか放棄するとかいう人は、ある種の宗教的行為などを除いては目にしません。
 お金があるから不幸がある、というシチュエーションだって考えればいくつも考えられます。ですが、
お金がらみの不幸を根絶するためにこの世からお金を無くそうという主張は幼く浅いものと見えませんか?
 国家の話も同様だと思います。国家幻想にも功罪あるでしょう。そして功の部分があるからこそそれが
通用し、人々に支えられてあるわけです。国家(意識)があるために生起する不幸、争いなどを根絶する
ために、今すぐ国家をなくしましょう(もしくは愛国心を持つのをやめましょう)的な話にリアリティを
感じることはちょっと無理です。 というようなことが頭に浮かびました。長文失礼しました。

問題行動(あるいは非難に値する行動)をとる人が、日本人の目に入るのは中国人や韓国人が非常に多いということが、人種への批判に繋がっているという側面もあると思います。日本国内で凶悪事件で中国・韓国人が密接に関係している事件は増加しており、既に社会問題であるともいえます。そのような現状の中で、「個々人の行為自体のみを批判すべき」というのは気持ちはわかりますが、あまり説得力はないかもしれません。

追記です。
だからといって私は、愛国心に基づく人種差別を肯定するわけではありません。念のため。

>「意見が合わない人とは親しくできない」という人が案外
>いるような気がします。そういう人にとって、「嫌われよ
>うと憎まれようと、嫌いにならずに接する」というのはあ
>り得ないことなんでしょうかね。日本人はそういうことが
>極めて苦手だという気もしますが。

なぜここで「日本人は」と書いてしまったのか、ご自分でよく考えた方が良いと思います。

また、今回の件で中国に怒りを覚えている人たちが皆、この件を原因として「個人的にも」中国人に対してきつく当たっている、ことはどうして分かるのでしょうか?

さらに、嫌われ憎まれた相手に対してこちらから嫌いにならずに接する、というのは、内心の問題として言えばある意味理想的ですし、そういうことが可能な人は多分いるでしょうし、頑張って目指して欲しいとも思いますが、「自分はそうだ」といいきれる人というのはえてしてほど遠いところにいるものです。
これを内心ではなく、外面上の振る舞い方の問題のみとしてとらえるとすれば、個人同士の間ではただのチキンという印象を与えるだけですし、集団対集団の場合も一方的に「こいつらは隷属している」という認識をされるだけであって、戦略的には(特に不特定多数同士の関係においては)短期的には間違った行為だと言って差し支えないと思います。
(そのようなおおらかな態度を見て感服するなどの理想的な結果になりうるのは、相手が極めて長い時間をかけて冷静に判断できるようになる場合か、あるいはもともと二つの集団間に十分に共通した倫理的基礎が築かれている場合などに限られるのです。)

結局のところ、
>その人が持っている意見と、その人に対する人格評価は別。
こういう当たり前のことをこういう流れで述べてしまう、そういうところに、今回あなたが一定の反論をあえて受けることになった理由があるように思われます。

今回の重慶の件をわざわざ広めている人の多くは、この反日感情が「軍事独裁政権による長年の洗脳と扇動の結果、自生的に作られたもの」であることに特に憤っているのであって、これを基に「日本を愛せよ」等とは、一言も言ってはいないように思うのですが。単なるアラートとしてとらえるわけにはゆかないのですか?

長文失礼しました。

ひろゆきさんへ
 
後半部分、そのとおりだと思います。つまり、私は「国というものを持ち出さんでええところで国とか民族とかを単位にして考えるのはいかがなものか」と考えているのであって、だから「国はいらん」というつもりもないです。中国政府の個々の政策について、賛同したり反対したりするのは大いにやったらいいと思ってるわけですし。
また、外国に行くときはやはりパスポートと大使館というのは心強い存在だと思います(特に日本のは)。だから国家を否定するつもりはない。
ただ、国家を価値観の基準にするのはよくわからん。そういうことです。お金の例でいえば、拝金主義はどうも納得いかん、財産至上主義は違うでしょ、というレベルであって、別にお金がいらんと言ってるわけじゃないのです。
サッカーとか関係ないところにいちいち民族とか国家のプライドとかを個人が持ち出すのは筋違いでしょ、さらにそれを取り出して「だから中国人は」みたいなことを言ったりするのも変じゃないの?という話です。
 
幻想だから要らない、と主張しているのでないことはわかっていらっしゃると思いますが念のため。関係ないところで持ち出すな、ということです(まあ愛国心については、そもそも必要になる場面がないんじゃないの、という考えもあるわけですが)

松永さん、お久しぶり。
最近忙しくって自分のウェブログさえちょいとずる休みしていたんですが、やっとこさこの数日で復帰。それでこちらへお邪魔してみると、えらいことになっておりますな。
日中間の議論ってどうしてこうも不毛な展開で盛り上がるのか、そのことが問題のように感じています。
愛国心云々というよりもどの時代、どこの国や地域にも、排外主義で自分たちの自尊心を維持しようというつまらない奴が存在するってことだけだと思うのですが、なんで皆さんこんなに熱くなるのだろう。
うちは日中国際結婚なんで、毎日がお互いのわからんことについての議論に明け暮れしておりますが、話せばわかる、わかるまで話す、それで解決できなければ暫く棚上げしてほっておく。
それでだいたいの問題は解決しています。
不毛な議論する暇があったら、いろいろと良書がありますので、そういった本を読んで自分でよく考えるのがいいでしょうね。
鬱憤晴らしのような言葉遊びのどこが楽しいのかな?

「国」は手段であって目的ではないと思います。目的(国民の幸せ)をを達するのに良いか・悪いかと言うことはあっても、それが好きか嫌いかと言う議論は何かずれているのではないかと思います。少し論点がずれてるかもしれませんが・・・・。

ひろゆきさんのお話ですが、手段であるところの「お金」を愛してる人は基本的にいませんよね。お金を貯めている人は、基本的に目的があって貯めているのです。「国」と言うのもこれと同じじゃないかと僕は思うんです。

少々お返事があったようなので一言だけ。(私はこの件でどなたかを論破しようなどとは考えていない
ことははお汲みおきくださいね。いろいろ考える契機に。)
 例えば上記MAOさんのように中国女性と棲んでいるとします。で、奥さんが母国に対する愛を何かのはずみ
で滔々と述べられたとします。普段ははいはい聞いているような事柄を、ちょっと疲れているかなんかで生
返事していて、奥さんがエキサイト。「あなたは私の話を聞いていない」「聞いてるよ」「あなたは私の気持ち
をわかっていない」「わかったけどさ、どうも愛国心なんて話にあまり興味が持てないんだよね」「やっぱり
あなたはわかってない」「わかるよ。俺だって自分の国は好きさ。でもそれに拘るのもどうかと思うよ」
「ほんとにあなたはわかってないんだ!」って松永さんは責められるのです(笑)
 これは座興の仮定話のようでそうじゃないと私には思えます。もちろん二人の他の面での絆がこの危機を救う
かもしれませんし、いろいろその場を取り繕うこともできましょう…。

 でも、たとえそれがどれほど愚かしく見えても(そして本当に愚かしいところがあっても)、国に対するこだ
わりを現に持っている人のことを、あなたはちゃんと理解できると思われますか?
 そしてあなたが「かわいそう」とおっしゃる愚かなこだわりを持った人と、きちんと相互理解に持っていける
と思われますか? 自分が何か高みにいるといった思い込みなしで。相手の目線を一知半解じゃなくわかります?

 世の中、憎みあってる方がわかりあえてる時だって皆無じゃないでしょ。まあそれは極端にせよ、愛憎こもごも
のことだって少なからずあるんじゃないですか? 私はそう感じていますよ。
 ピント外れのことを申しているかもしれませんが、あなたのお立てになっている信条、それは私には悟りくさった
坊主のものいいに近く聞こえます(悪い言葉でごめんなさい)。ただ国への思い入れ、愛国心などは、美化する
一方のものでは無いと思うのと同時に、男女間の愛や親子間の思いと同様の深さを持つときもあると…そういう
ことはお考えいただけたら幸いです。愚かしい男女間の愛だって、私は泥沼にさえ愛惜の情を惜しみません(笑)

 あなたが愛国心を「排外主義」の一言で片付ける方ではないとなぜか信じられると思いましたのでレスしました。
 以上です。

中国のホスト国としての対応はどうなのかという問題を愛国心の問題として
取り上げてしまったご自分の低脳ぶりを反省もせず無意味なへ理屈をこねくり回
した所で、なにが伝えられるのかもう一度考えるべきだと思うよ。
サッカーの国際大会のホスト国というのがどれほどの名誉と責任がある物か
を知らないのなら、今回の題材を選んだ無責任さを先ず謝罪すべきだよ
サッカーのアジア大会の開催地として中国という国名でホスト国として、
立ったのだから「一部の人・地域」などという言い訳は通らないのが、
スポーツイベントの国際大会な訳で、これは中国のルールとかそういう物じゃな
いサッカーのルールに国際ルールがある様に、ホスト国としての最低限のマナー
というのは国際的な共通事項がある。
そしてそれは中国も納得し、厳守する事を誓ったからホスト国になれたのだから、
その最低限のマナーとは、参加各国の選手やスタッフに試合に集中出来る環境
と安全性を確保する事、応援に来る各国のサポーターの安全を守る事など、
普通の国であればわざわざ語らなくても当然守られる物であろう、
この最低限のマナーに各国の特色を出し参加した国の選手やサポーターに良い
印象と思い出を与える事でホスト国のイメージを向上させる事が出来るのですよ。今回の中国ではここら辺が全く出来ていないので、おかしいと言う意見が
大半なのであって、日本チームに対する仕打ちに対しどうこう言っているのでは
無い。韓国のチーム・サポーターに対しても、中国人サポーター?非礼を行ってい
る。これは悲しむだけでは済まない大きな問題なのだ、
なぜなら2008年にはオリンピックが開催される国なのだから・・・この大会での
失敗を踏まえてしっかりとした体制でオリンピックが開催できる様に、批判の声を
上げなくてはならないのだよスポーツファンなら当たり前の事です。
「愛国心」等と言う話のネタにして問題をややこしくしないでください!

<しかし、すでに植え付けられた反日精神をどう溶かしていくか。それは政治的圧力で解決できることなのでしょうか。
この問いかけには私も同じ考えをもっています。日本が国として、戦争に対するきちんとした反省の態度を示さずに、アジアの人々にもたれている反日精神を政治的圧力によってなくすことは不可能だとおもいます。同じく大戦で隣国に侵略を行なったドイツは、戦後の反省をし、責任を果たした結果信頼感を回復しつつあります。
話は変わりますが私は愛国心については心のノートや東京都教育委員会の日の丸・君が代の圧しつけなど危険な方向に向かっていると思います。そういった背景からこの題材をとりあつかったのかと思いましたがどうでしょうか?

ひろゆきさん
だれかが自分の国を好きになること、相手の国を好きになることを悪いとは一言も言ってないし、私自身も日本は好きだと思っていますよ。「行ってみたい国は?」と言われたら好きな文化のある地名をいくつか挙げることも可能です。ただ、国という枠組みをそこの国民一人ひとりに当てはめることはやらないし、逆もまたしかり、ということ。そして、自分の誇りに国の評価は関係ないということ。
もちろん、外国に行って日本人だからということで誉められたらうれしくは思うだろうし(その人の友好的な態度に対して)、日本人だからということで嫌われたら悲しく思うでしょう(その人の排他的な態度に対して)。でも、それで自分が偉いと勘違いしたり、相手を嫌い返したりするようなことはない、なぜなら自分自身の属性じゃないから、ということです。
それともう一つは、たとえば「男女間の愛や親子間の思い」を示すために、別の女の悪口を言ったり、家族じゃない人を罵倒することが「自分は身内を愛している」という証明になると勘違いするのはおかしいよね、という話です。つまり「排外主義」こそが「愛国」だと勘違いするのは何なの?ということ。あえて国というものを持ち出すとして、ですが。
 
ジョニイさん
「国として、戦争に対するきちんとした反省の態度」という考え方は、私の論旨から外れます。「愛国心の危険な傾向」というのも関係ありません。単に「愛国と排外主義が安易に結びつけられている」ことを問題視しています。
 
というかさんざん批判があったのだけど、重慶のことを記事のツカミで持ってきたので、要らぬ混乱を招いているようだ。なので、ここまでの3記事を「廃盤」とし、新たにエントリーを立てたいと思います。

ジョニィさんはまず歴史を勉強するべきだね。。

ほとんどの日本人は、「日本人」という属性を自分のものだと感じていますよ。だから大リーグでイチローや松井が活躍すれば、「同じ日本人として」嬉しく感じるのです。日本人がノーベル賞を受賞すれば、多くの日本人は「同じ日本人」として誇らしく思うのです。「日本人」であることを『自分自身の属性じゃない』と断言する松永さんには、こうしたことも理解できないかもしれませんが……。

あー、服部さん、そこなんですよ。それも追記しようと思ったことなんですが。理解できないというか、そういう人が多いのはわかるけれども自分ではそういう感情を持てないというか。
オリンピックでも、日本選手がどれだけメダルを取るかとか、全然興味ないんですよね。何国人であろうと、すばらしい競技を見せてくれれば拍手したいというか。
こういうのって少数派なんですかねえ……。

国や、所属する団体への感情や責任感は、それぞれ個人の育ってきた環境や、その後の環境によって大きく変わって行く物だと思います。
今ここで、松永さんへの反論のような物を書いている私も、子供の頃は「日本は嫌い!」と、両親にはっきりと宣言して、ちょっと困った顔をされた覚えがあります。また、社会人なりたての頃、今話題に上っている中国人と一緒に仕事をする機会があり、中国に大変よい感情を持った事もありました。
しかしながらいつの頃にか、「自国が嫌い」といった変な国際感覚を持つのは、むしろ日本人に多いんだなぁ・・・と、いささか矛盾した自国認識を持つに至ったりもしました。
(別に松永さんが日本を嫌いなんだという意味ではないです)
ネットで韓国や中国の、よくない情報が流入しだした事も、考えが変わっていくきっかけになったと思います。
そんな「嫌いな国」のある自分も、素晴らしいプレーには国に拘らず拍手を送りますが、確かに最近、バレーボールの試合なんか見てると、日本でしかやらない物だから日本への応援ばかりで、相手の国が可愛そうになる事がありますね。

だから、どっから「愛国」なんてものが
飛び出してきてるんだよ。意味がわからない。

わからなければ帰ればいいのに。

松永さま、その「理解できない」というところをもう少し明確に明言ししていただけないでしょうか?これは愛国とかいう以上にあなた様のその少数派の価値観に何かヒントが隠されているようで多数派(多分)としては興味深いです。

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このブログ記事について

このページは、松永英明が2004年7月27日 02:40に書いたブログ記事です。
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