メディアミックスならざる安直な「ウェブ本」は本当に売れるのか?――附:「自費出版」と「文筆業」の違い

 「ウェブのコンテンツ」を書籍化するのが現在の出版界の「トレンド」となっている。また、ネット系企業の側からも出版に歩み寄る傾向が見られる。

 しかし、『電車男』の「成功」は極めて特殊な事例であるにも関わらず、単に「ウェブコンテンツを書籍化」するだけでは、いい本、売れる本は作れないだろう。ウェブと書籍のメディア特性の違いを無視して単に形態を置き換えるだけでは「メディアミックス」でも何でもない。それでは「自費出版商法」の変形にすぎないと思うのである。では、どう考えるべきか。以下、詳説。

2005年2月18日21:19| 記事内容分類:ウェブ社会, 編集・出版| by 松永英明
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メディア特性の違いに合わせた表現方法がある

 携帯用コンテンツを制作している方から興味深い話を聞いた。携帯では、文章が下手くそで文も細切れな書き手の記事が人気を集めることがある、と。なるほど、と思った。携帯の小さな画面を手のひらの上で見るとき、ブツ切れだけどもインパクトのある言葉が並んでいることが、誤字脱字や文章の巧拙などよりずっと大切なのだな、と。

 PCで読むブログサイトやウェブサイトの文章と、携帯電話向けのコンテンツでは、「どんな文章が効果的か」ということはまるで違うのだ。メールマガジンとサイト、携帯電話コンテンツ、すべて特徴が違うから書き方、表現の仕方だって自ずから違ってきて当然である。このように、表現の場によって効果的な表現方法が違ってくるのは、それぞれのメディアごとの性質が違っているからだ。

 同じ「ディスプレイ表示」であってもこれだけ特徴が違ってくるのだから、これが紙媒体となるとメディア特性が大きく違ってくることは言うまでもない。紙と言ってもいろいろある。新聞、雑誌、フリーペーパー、フライヤー、書籍。書籍でも本の大きさなどによって表現方法が変わってくる――というか、内容に合わせて判型などを変えるわけである。

 もっと言えば、ラジオ、テレビ、ビデオ、映画(これも8mmと16mmでは違う)というように表現方法が変われば、当然、それぞれに合わせた演出や編集が必要となる。

メディアミックスは「単なる置き換え」では成立しない

 一つの作品をいろいろなスタイルで表現するということは当然あっていい。小説の映画化・テレビドラマ化・マンガ化、映画のノベライゼーション、いずれもよくある話である。しかし、それには成功と失敗がついてまわる。

 もちろん最近の「デビルマン」のように、優れた原作をメチャクチャにアレンジしてしまうこともあるだろう。だが、原作どおりに表現しようとしたらいいというものでもない。「原作に忠実に」やろうとしてつまらなくなった映画などいくらでもある。

 かつて、メディアミックス戦略といえば角川のお家芸だった。本と映画とレコードとグッズといった各種メディアを使って一つの作品を盛り上げていく。だが、単に複数のメディアを使えばそれでメディアミックスになるかといえば、そんなことはない。そこを勘違いしてはいけないのだ。

 たとえば、映画のシナリオを書籍化するには二つの方法がある。一つは、シナリオそのものをシナリオ集として出版する方法。もう一つはそのシナリオをもとにノベライゼーション(小説化)する方法だ。シナリオは「そのままの置き換え」、ノベライゼーションは「アレンジ」といえる。

 ノベライゼーションの場合、ストーリーの順番や各種設定、場合によっては結末までもが映画版と異なるのが普通だ。映画と本で補い合う場合もあれば、パラレルワールドの様相を呈する場合もあるが、それは映画でしか表現できないこと、本だからこそ表現できることの違いから生まれる必然的な結果だ。そして、映画版と書籍版が矛盾するとしても、それは悪いことではなく、むしろメディアミックス上の興味深い展開といえる。

 だが、もしこのような「編集」もなく、単にシナリオ集だけを出版して「メディアミックス」と言えるか、といえば、それはNOということになる。

サイトの内容を紙に転写してもまともな本にはならない

 ここまでは多くの人が理解する内容だろう。だが、これがウェブと書籍という関係になったとき、「単なる置き換え」でしかないものが多くないだろうか。ブログの書籍化、サイトの書籍化が安易に「サイトの内容を紙に転写したもの」であれば、それは売り上げという点からも、内容からも、とうてい肯定できない。

 ブログという形態だから許される表現、可能な表現がある。いくら面白く、興味深い内容だとしても、その表現スタイルが紙媒体に合っているとは限らない。

 たとえば、本の場合は一つの項目を決められた文字数の範囲で1ページに収めたり、見開き2ページに収めたり、気にせず流し込んだり、といったスタイルのどれを選ぶかということを考える。ところが、ウェブではそうではない。1ページの長さは可変だからそういう縛りは少ないとも言えるが、一度に投稿される文字量が書籍の一区切りにぴったり合うわけでもない。

 もちろん、最初から書籍化を念頭に置いて書くなら事情は変わってくるが、それでもディスプレイで読ませる文章と紙の文章は違いが出てくる。図版の見せ方だって違う。例えば地図なんかは紙媒体だと広範囲の詳細なものを見せることもできるが、ウェブ上で詳細な地図を表現するのは案外難しい。

 こういうのは形式的な面だが、文体や書き方においてもウェブと紙媒体では表現方法が違ってくる。

「他媒体→ウェブ」は結構何でもアリだが逆は不可

 書籍の内容をそのままウェブに転載している場合もあるが、これはウェブのデータベース的性質を利用してデータを保存しているものであって、それがその作品の「ウェブに合った見せ方」なのか、あるいはそのコンテンツに最適な表現方法なのかといえば疑問である(ここで文字が読めさえすれば同じと反論する人がいるかもしれないが、それは極論だ)。場合によってはpdfファイルでレイアウトまで再現する例もあるが、これも紙媒体のデータを「ネットでも再現」したにすぎない。

 前世紀にはよくあった話だが、企業ウェブサイトを作成するときによく陥る誤りとして、会社のパンフレットをそのまんまウェブに再現しようとする試みがあった。もちろん会社案内のページはそれでもいいのだろうが、カタログそのままを再現するだけならわざわざウェブ上でやる必要もないというのも事実(カタログのpdfをダウンロードできればいいわけだから)。ウェブにはウェブに合った表現方法がある。

 もちろん、ネットには「他の媒体をそのまま再現」という機能があるから(ストリーミングで映画だって見れる)、それを否定するわけではない。だが、最初からウェブで公開し、ウェブで読ませる・見せるためのものを、そのまま他媒体に移植できるかといえば、それはNOなのである。ウェブは確かに何でもアリのプラットフォームで文字・画像・音声・動画を配信できるのだから、他媒体で作られたものがそのままウェブに乗っかるのは自然な話だ。しかし、逆は真ではない。ウェブ上のコンテンツをそのまま外に持ち出すのは難しいのである。

文字を読むならディスプレイ上より紙の上

 まあ、ディスプレイ上で文字を読むというのは紙の上で文字を読むよりも読みづらいものである。同じ文字データが並んでいても、ディスプレイ上だと読み飛ばしてしまう傾向があるし、長文は読みづらい。

 自分の場合、原稿の文字校正をするときに、ディスプレイ上で眺めているとどうしても漏れてしまうので、これだけはプリントアウトすることが多い。

 そういう意味で言えば、ネットでも読めるものを元原稿としてそのまま本にしてもらうとありがたい場合もあるかもしれない。たとえば松岡正剛の千夜千冊は、ウェブ上の連載だからあのレイアウトでよかったのだが、通読しようとするとフォントが小さくて読みづらいという印象がある。あれを千夜分一気に読み通そうとすれば、書籍の形でないととても耐えられない。

 だが、書籍の場合は文中のハイパーリンクが消えてしまう。関連する本のページへクリック一発で飛んでいくという利便さは消えてしまい、脚注か何かに化けることだろう。

 もう一つの問題として、ネットでは「タダで見れるのがデフォルト」というポイントがある。電車男だって、ネットのまとめサイトを見に行けば全部読める。それをわざわざ本の形で読ませるからには、最低でも「ウェブよりも読みやすいレイアウト」といった+αの要素が必要だろう。

「自費出版商法」と「本を出したい人」

 さて、ここまではひたすら「ウェブと紙媒体、それぞれに求められる最適な表現方法は違う」という話をしてきた。ウェブの記録をそのまま紙媒体に収めるのは、映画のシナリオ本と同じく「そのままの記録の保存」という意味でしか評価できない。メディアミックス、あるいは多メディア展開とは到底呼べない、というのがここまでのまとめだ。

 ウェブサイトの書籍化ブームでもう一つ検討しなければならないポイントがある。それは「自費出版商法」と「本を出したい人たち」の存在だ。

 本を書いている人には2種類いる。「本」を作ることが目的の人と、サービス業者としての執筆・文筆業者だ。いわゆる職業としてのライターや作家(あるいはそういった意識を共有する人)を後者とする。一方、同人誌や自費出版は基本的に前者に属する。

 どれだけ金を出してもいいから「自分の本」を出したい――そういうニーズは確かに存在する。商業出版には作品の質・レベル・内容・ジャンルが合わないという場合、自費出版で出すのは悪くない。だが、自費出版で本を出しても、それで飯を食えるわけではない。むしろ、「本を出した」という満足感を得られるだけなのだ(それだけでいいという人は問題ない)。

 そして、世の中には多くの「自費出版」で本を作ってあげますよという会社がある。ネットでも自費出版といえばそういうサイトが宣伝している。だが、間違ってはいけない。そういう会社にとって「本を出したい人」は「お客さん」なのである。いいですか、悪意を込めた言い方をすれば、金を出してでも自分の本を作りたいという人をカモにして稼いでいるのである。それでいい、本という形ができればいいという人は納得できるかもしれないが、本を出したい、そして文筆を業としたいという人にとって、自費出版は登竜門ではない。

 自費出版系の出版社が○○文学賞とかやっているが、あれなどは詐欺に近いと思う。要は「作家志望の素人」を集めるためのエサだ。実際には「あなたは○○賞を受賞しました。ついては出版いたしますが、あなたの出費はこれこれです」と顧客を囲い込むのが目的である。「大賞受賞者は費用負担ゼロ、銀賞の場合は半額負担」とか書いてあっても、大賞は「該当者なし」が多かったりするのでよく見ておくといい。

 これは、自費出版系ではない出版社による文学賞とはまるで違う。ライトノベルだろうと芥川賞だろうと、受賞者は一銭も金を出す必要はないし、出版費用はもともと出版社全額負担が当たり前である。ただし、その出版にあたっては内容について出版社から手直しを求められたりすることもある。

カモにされる「自費出版したい人」

 同人誌の場合は最初から「印刷代」と割り切っているだろうからトラブルも少ないようだが、自費出版の場合は(ネットで検索してもよくわかるが)「だまされた」と感じる人がけっこういるようだ。まあ、それはそういう自費出版社をよく理解していない方にも責任があるだろう。いわく「本を作るのにやたら高額な費用がかかった」「店頭に並べてくれない」「営業努力をしてくれない」「ほとんど売れなかった」云々。いや、それは当たり前なんです。「本を作る」ところまで、あるいは「一応、書店に並ぶことも可能」な形態にするところまでが自費出版系出版社の仕事なのだから。

 繰り返すが、自費出版系出版社にとって、客は読者ではない、本を出したい著者自身なのだ。

 一般的に書店で見かける本は、それが売れて初めて利益が出る。だが、自費出版の場合はすでに本を書いた人から儲けているわけだから、割に合わない販売努力などしても無駄なだけだ。まあ、中にはちょっと頑張れば売れそうな自費出版本もあって、一部の本は営業努力をしてくれたり、広告を打ってくれたりすることもあるが、それは例外中の例外だし、それだけ売れるのなら本来、著者に負担させるべきではないわけである。

 だから、作家になりたい人は、自分のプロモート用に「自腹を切って」自費出版で本を作ってもいいが、それはあくまでも配布用、見せ本であって、一般の出版社の編集者に読んでもらうためのツールと考えるべきである。自費出版の本が話題を呼んで執筆依頼が……なんて甘い夢は持たない方がいい。

 もちろん、本という形になればそれだけで嬉しいという人はそれでかまわない。ただ、それなら安い印刷屋を探した方がいいかもしれない。

ブログランキングで本にするという安易さ

 「はてなダイアリーブック」は、はてなダイアリーで書いた内容を本にできるというサービスである。これはわかりやすい。単に本を作るだけである。自分の記念、あるいは知り合いへの配布用に紙の形態にしておきたい、という人はそれを利用すればいい。

 だが、「うちのブログで人気が出れば、本にして出版しますよ」という売り文句はいかがなものか。自費出版系出版社と稼ぎどころは別だろうが(つまりブログサービスへの集客がメインだろうが)、それはサービス業としての執筆者・文筆業者・作家を養成するのではなく、「自分の書いたものを本にしたい」願望を利用する商法になっているように感じるのである。本当に販売数を保証できるのか。人気ブログだからといってその内容は本当に商品としての書籍にふさわしい内容のレベルを備えているのか。

 やらせ疑惑もあるがココログブックスでの「選考」は良心的だろう。書籍に向いた内容でなければ採用されないわけで――落選したブログが劣るという意味ではない、それは極めてウェブ向きで紙媒体向きではなかったというだけの話なので誤解なきよう――、それをランキングだけで決めるというのであれば、素人考えで出版事業に手を出しているのか、本の形さえ作れればいいのか、と言いたくもなる。

 もちろん、ブログ開設者の中には「願わくは出版にこぎ着けたい」と思う人も少なくない。ニフティ(同)が運営するブログ「ココログ」が、登録会員の中から、出版するおもしろいブログを選ぶ「ココログブックスコンテスト」への応募を募ったところ、1000人以上の応募があった。

 ……(中略)

 「高校生の時からつけていた絵日記をホームページを作って始めようと思っていたが、知人から、もっと簡単に作れるブログの存在を教えてもらった。自費出版しようと考えていた矢先だったので、とてもいいチャンスに恵まれました」

 (ブログ出版 ネットで日記→作家デビュー (読売新聞))

 もともと自費出版したい人にとっては、ブログ→書籍化サービスはありがたいかもしれないが、それ以上を期待してはいけない。

作家発掘にブログは使える

 もっとも、読売の「ブログ出版 ネットで日記→作家デビュー」記事内のコメントは(記事タイトルに反して)うなずけるものが多い。

宝島社(同)の後藤貴功(たかかつ)さんは「ブログは玉石混交。もちろん、そのままの形で出版されることもあるが、それは少数だろう。ただ、出版する立場で見れば、すばらしい素質を持った人もいる。新たな“作家”を探すとてもいい場所だ」と話す。

 つまり、ブログに書かれたものをそのまま出版するのはほとんど無理だが、潜在的能力を持った書き手を発掘するための場としては使える、ということだ。この見解には賛成だ。まあ、この絵文録ことのはもプロモート機能を持っているわけだしね。

 言い換えれば、「ブログの書籍化」というより「ブロガーの著者化」、商業ベースに乗り得る著書や雑誌連載をブロガーに書かせるというのであれば、面白い人材が発掘できるだろうし、面白い「書籍」を期待してもいいと思う。

 例外的に、ポエム的なブログとかであれば、むしろ原型そのままに近い形で書籍化するのも可能だろうと思う。しかし、普通の雑記ブログはそのまま本にはなるまい。

 アメーバブログの中でわたしも好きでよく見ている「語源blog」が本になるようだが、そのままだと書籍としては弱いだろう。もしわたしが担当編集者であれば、これまでの記述をもう2歩3歩踏み込んで深いところまで「名称の由来」を探ってからでないと書籍化は難しいと言うだろう。ネタ、着眼点は非常に面白いし、売れるネタだ。そして、ブログではそれを速報的に流すだけでも面白い。むしろ掘り下げるよりタイミングが大切だったりもする。しかし、それを書籍化する段階では、じっくりと調べておいてほしいと思うのだ。

文筆業はサービス業であってわがまま勝手にはいかない

 今回の記事では「自費出版的に本を作る」ことと「文筆業として文章を書いていく」ことを分けているが、本職でないとわかりにくいかもしれない。簡単に言えば、前者は趣味の延長であり、後者はサービス業者である。

 作家にしろライターにしろインタビュアーにしろ、それを職業にしようというのであればサービス業者でなければならない、と思う。もちろん趣味が昂じていてもいいのだが、読者に対するサービスを提供する立場を忘れてはならないのである。これは「読者に媚びる」のではなく、読者を操るくらいでもいいのだが、対価に見合った商品としての文章を提供しなければならない。

 そのために書き手に注文をつけるのが編集者である。もちろんヘタな編集者もいるかもしれないが、編集者によって自分の書いたものを変えられることを拒絶するような人は、サービス業者としての文筆家になれない。自分の書いたものをいじられるのがいやならば、自費出版なり同人誌、いやブログでもいい、思い通りに書けばいい。しかし、プロを名乗ることはできない。

 以前のエントリーについたコメントで、無能編集者に改変される例も多いので編集が出しゃばるな、という素人臭い発言があった。ああ、断定させてもらうが、自分の文章をいじられること自体に嫌悪感がある人は、即刻サービス業者=プロのライターをやめるべきである。もちろん、筋を通すべきところは通す必要があるが、編集者の要望に合致させつつ、自分の言いたいことをきちんと表現するのが本当のプロであろう。

 ブログにしろ自費出版にしろ同人誌にしろ、好き勝手表現できるのが利点であり、欠点でもある。商業用のサービス業者としての執筆においては、売れること、読ませることを念頭に置いた表現が必要となり、それは書籍としての完成度を高める一方、「このネタは書きたいけれど商売にはならない」といったネタが残ることになる。

 プロのマンガ家がわざわざ同人誌で書いたりすることがあるのは、このためなのだ。文筆業者が自主的にやってるブログって、「本にはならないネタ」を書いていることが多いのではないかと思うが、いかがでしょうか(ちゃんと企画を練り上げた企画モノブログは別にして)。

書籍化するならひねりが必要

 で、こういう視点から見れば、「自分の書きたいことを書きたいように」書いたブログがそのまま書籍にはならんでしょ、というわたしの主張も理解してもらえるのではないかと思う。もちろん、一生懸命読者のことを考えているだろうが、もともと執筆・編集の経験がない人には、書籍に適したテーマや書き方、表現方法がわかるわけがない。わからないからこそ新しい発想もあるわけだが、それを書籍化するには一ひねりもふたひねりもする必要があるだろう。

 わたしのブログも書籍化を念頭に置いているのか、と言われたことがあった(のらDJさんに「お話聞かれました」参照)。だが、こんなもの、そのまま書籍になりません、そんなことはプロとしてできない、というのがわたしの意地の張り方だ。たとえば書籍化を念頭に置いたブログを作るとしても、ブログ版、電子書籍版、紙の書籍版ではすべてバージョンを変えるつもりである。それがメディアミックスだと思う。

 『電車男』は例外中の例外だ。そもそも、2ちゃんねるに「すまん。俺も裏ぐった」「めしどこか たのむ」の投稿があった段階ですでに打ち合わせ済みのシナリオがプロたちの手によって最後まで完成していたようなものを、ごく普通の人がごく普通に書いたブログの書籍化と同列に扱ってはならないのである。逆に言えば、最初から書籍化を念頭に置いて「仕込み」を入れておくなら、成功するだろうということだ。それは悪いことではないのだから、堂々と最初からブログ(やウェブサイト)をプロモーションの場、草稿の提示と読者の反響を集める場と割り切って使えばいいと思う。

「ネットで話題」でも売れるわけではない

 ところで、上記読売の記事だが、気になるのはこの部分だ。

ブログですでに読まれているものをあえて出版することについて、アメーバブックスの編集担当、阿部恭子さんは「ネットの読者層と本の読者層は一緒ではない。何万人もが見ているブログなら、本の宣伝効果も相当なもの」と言う。

とあるのだが、本当にそうだろうか。

 まず、この発言の前提として「ネットで読めるのだから買わない」という傾向があることは阿部さんも肯定しているようである。しかし、だとしたらなおさら宣伝効果には疑問がある。

 ネットで見ている人は買わない。ネットで見ていなければ買うかもしれない。だが、ネットで見ていない人は、いくらネットで話題であっても、知らない。口コミを期待しているのかもしれないが、どれくらい宣伝効果があるだろうか。

 人気サイトを本にしてどれだけ売れるか。『ちゆ本』がそれなりに売れたのはネット内の固定ファンに買わせることに成功したからだが、ネット外にはまったくといっていいほど影響力がない。ネット内で話題であっても、一般社会ではまったく知られていないというのはよくあること。

 うちのサイト(kotonoha.main.jp内)の閲覧者ユニークユーザー数は、特に大手ニュースサイトなどからのリンクのないときで一日3000~4000くらい、大手からのリンクがあれば6000~10000くらいのようだ。だが、その数千単位のアクセスが即購買者になるわけではない(もしそうであれば『ウェブログ超入門!』はとっくの昔にバンバン増刷されている。笑)。

 携帯コンテンツとして人気があった「Deep Love」の書籍化されたものが予想ほどはふるわない、という。携帯と紙媒体の違いもあるが、デジタルコンテンツの読者がそのまま書籍購入に結びつかないというよい例ではないだろうか。

「マチともの語り」の面白い戦略

 というわけで「メディアミックス展開するならもうちょっとひねってよ」というのが今回の内容なわけだが、そのよい例として福岡のMAOさんが企画している「マチともの語り」を紹介しておこう。というか、実は昨日・今日とMAOさんが東京に来ていたので会って話したり、一緒に出版社に行ったりしたのだが、彼はここに書いたようなことを本当によくわかっている人である。

 「マチともの語り」は、マチ(街、町……)という実際の「場所」にからめた作品(小説もルポもノンフィクションもエッセイもOK)をプロから素人まで数十人の書き手がブログ形式で発表していくというサイトである。すでに『マチともの語り作品集 (Vol.01)』も出版されている。まずは地元フクオカをテーマにした作品5点の書籍化だが、これは九州近県とネットに重点配本するという面白い配本計画も立てていて、地元では結構売れているらしい。レイアウトなどはもう一工夫ほしいが、場所のはっきりしない「無国籍」型の小説が増えてきている今、あえてマチにこだわることで非常に興味深い作品集となっている。

 マチという切り口も面白いが、ブログ(Nucleus)を利用した発表形態が工夫されている。場合によってはフィードバックによってストーリーも書き直されることがある。また、書籍化を念頭におき、読者に「読ませる」ことを意識した作品が載せられている。いいプロモーションの場でもあり、また「ウェブの書籍化」の中では出版業界人をもうならせる優れた企画となっていると思う。

 また、ブログ、電子書籍、紙の書籍、さらには地元フリーペーパーや朗読などの展開をすでに見せており、本当の意味でのメディアミックス展開を、費用をかけることなく実現しているところが興味深い。

 実は近々、わたし自身もこの「マチともの語り」に参加させていただくことになった。ネタは、商業出版にはちょっと合わないと考えて数年来温めてきたテーマで、江戸東京ものであるが、マチそのものがテーマになってくるような気がする。荒俣宏・加門七海からオカルトを抜いた感じ、とだけ予告しておこう。

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2005年2月18日21:19| 記事内容分類:ウェブ社会, 編集・出版| by 松永英明
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http://www.cocolog-nifty.com/cocologbooks/index.htm

ココログブックスについては本文中に書いてあるとおりです。付け加えることは特にありません。

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