「学問」と一致するもの
学費支援プラットフォーム「studygift」で思う、善意の仕組みと大学の意味
かつてpaperboy&co.を設立し、現在はいろいろな事業を立ち上げる支援者としての活動を中心としている家入一真さん(というのがわたしの認識である)。氏が率いるteam liverty が立ち上げたサイト「学費支援プラットフォーム studygift」がいろいろと議論を呼ぶこととなった。そして間もなく活動中止・全額返金に至った。
わたしの感想は、結論からいえば「提示された理念・理想は素晴らしい。が、その方法論ならびに直接的なスタッフの動機は是認しがたい」というものである。
わたし自身が大学生のときには極貧生活を送り、結局その結果として中退に至ったという経緯もあり、決して他人事ではなかった。家入さんがそういう学費支援システムを作りたいと表明したときにはわたしもfacebook経由で大賛成の意を伝えた。だが、その結果は非常に残念なものとなってしまった。できる範囲で最大限に協力したいと思っていたわたしが、実際のサイトを見て寄付をしなかったのだ。
今回の件でのいろいろな議論はあるが、その議論には深く立ち入らず、わたし個人の興味と関心に基づいて、以下の点について述べてみたい。1)わたし自身の大学時代の体験。2)studygiftにわたしが寄付しなかった理由。3)理念と目標と動機と方法を別に考える。4)あまり論じられていないこと:「四年制大学→新卒採用」という枠組みを絶対視することへの根本的疑問。
第十四回文学フリマ【カ-36】ことのは(@kotono8)告知:『ゲニウス・ロキの歩き方』 #bunfree
2012年5月6日(日)TRC東京流通センター第二展示場E/Fホールにて開催される第十四回文学フリマに出展します。
ブース・サークル名は、2階Fホール【カ-36】ことのは(@kotono8)です。前回に引き続き、お隣【カ-35】奇刊クリルタイとの合体配置です。二つのブースで合同レジですが、ご購入者には「ゲニウス・ロキ紙袋」と「クリルタイVol.3」が無料でついてきます!
今回は文学フリマ冊子としては初のテーマ『ゲニウス・ロキの歩き方』です。表紙は前回に引き続きカラーで、再び吉川にちのさんのイラスト入りです。表紙込み124ページ1200円。

第13回文学フリマ【オ-01】ことのは(@kotono8)告知:『事物起源探究2011』 #bunfree
2011年11月3日(祝)TRC東京流通センター第二展示場E/Fホールにて開催される第13回文学フリマに出展します。
ブース・サークル名は、2階Fホール【オ-01】ことのは(@kotono8)です。前回に引き続き、お隣【オ-02】奇刊クリルタイとの合体配置です。
今回は1年ぶりの『事物起源探究2011』通巻3号です。表紙は前回に引き続きカラーで、初めてイラストをお願いしました。奇刊クリルタイの表紙などでおなじみの吉川にちのさんに、自分の趣味丸出しのオーダーで描いていただきました。表紙込み100ページ1200円。
「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム」
「災害時にも沈着冷静で礼儀正しい日本人」――それは実は、全世界の被災地で普遍的に見られる現象だった。
6月12日の文学フリマに合わせて作った個人誌『東日本大震災でわたしも考えた』では、ブログに掲載した記事をさらに拡張・加筆修正を加えただけでなく、いくつかの書き下ろしも入っている。その一つが『「災害ユートピア」と「震災ナショナリズム』」という文章である。
ここでは、その前半部分をそのまま掲載する(一部囲み記事や図版は省略)。
放送大学を卒業しました。/社会人が大学で生涯学び続けるということ
このたび、放送大学を卒業しました(教養学部社会と産業コース)。大学を中退してから十数年、やっと「学士(教養)」の資格が認定されました。これで、マンガ家こうの史代さん(平成13年卒)の後輩になりました。
例年NHKホールで開かれる卒業式が今年は中止となり、各学習センターで卒業証書・学位記授与式が開かれましたが、その後の懇親会で他の卒業生の方の話を聞いて「社会人になってからの大学というのは本当に価値がある」と感じました。普通の大学(いわば就職予備校として単位・資格を揃えるのが目的)とは異なり、学びたい人が学ぶ大学を卒業できたことは自分にとっても嬉しいことです。
さらに、今年もまた選科履修生として再入学しました。というわけで生涯学習と放送大学について思うところなど。
入試カンニング擁護論を批判する。カンニングは自分自身をおとしめる行為だ
ついに入試問題カンニング学生が「逮捕」つまり刑事事件化するという発展を見せた。愉快犯説も多かった中、私は当初からそうではなく本気で大学に合格したかったのだとツイッター等でも述べてきたが、おそらく私の見方は正しかったように思われる。もっとも、複数による携帯を使わない手法という私の憶測は外れているかもしれない。
その中で「カンニングすることは問題ではない。逆に公正な手段だ。むしろ失敗したことが問題」というようなコメントが当方のブログに寄せられた。私はそのような見方には一切与さない。論点は3つ。
1)本来学力を問われる試験において、学力や問題回答力ではなくズルをするというテクニックによって問題を回避するのは、たとえどのような理由があろうとも、会社の利益のために脱法行為をするのと同じく、適正なことではない。
2)目先の短期的な利益を実現するという結果を得ることが最大の価値であって、手法などはどうでもよい、という考え方そのものが根底的に人生観として誤っている。少なくとも私には採用できない生き様である。
3)そもそも、四年制大学あるいは一流大学に入ることがその後の人生の成功に必要不可欠と考える風潮(新卒の就職活動も含む)そのものが根本的におかしい。この学生も大学に入る以外の選択肢が与えられなかったことから追い詰められたと考えられる。したがって、この学歴前提の社会通念を根底からぶっ壊す必要がある。
以下、詳細に述べる。
尖閣諸島問題:中国紙「沖縄は日本が不法占領」論文を全訳・徹底解読
「中国紙、「沖縄は日本が不法占領」との論文掲載 - MSN産経ニュース」というニュースが流れた。「19日付の中国紙、環球時報は琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した」という。
原文が判明したので、これを全訳し、さらにその内容について詳細に検証する。
結論から言えば、唐淳風氏によるこの論文には、歴史的事実に関する誤りが多く、歴史の改竄と呼んでいいと思われる。ただし、日本が琉球王国を滅ぼして吸収・同化した歴史を忘れてはならない。
幸福実現党の研究(13)「財産が増えなければ幸福はない」と断言する拝金宗教
先日、有楽町に行ったとき、幸福実現党本部前をとおりがかったので、本部前に置いてあった「幸福実現News」やミニパンフレットをもらってきた。バックナンバーすべてというわけではないが、幸福実現党/幸福の科学のアピールする理念を読むには格好の資料といえる。
そこでわたしは目を疑った。「給料の手取りと銀行預金が増えることで、幸福感は増す」と断言されているのである。これが財界の代弁政党であれば何とも思わないが、宗教性を前面に打ち出しているはずの幸福実現党の「幸福の定義」は財産が増えることだった。まさかの拝金主義にわたしは目を疑った。
昨年の都議選・衆院選前後の幸福実現党の動向を、主にその主張の分析によって解析してきたこの「幸福実現党の研究」シリーズは、幸福実現党の一次資料に当たることを旨とし、その政治的・宗教的な思想・信条についての調査研究を行なってきた。その方針を踏襲して、今年の参議院選でも研究を行なってみたいと思う。
「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介 メモ #commu2010
2010年4月10日、ジュンク堂池袋本店にて高原基彰(社会学者)・西田亮介(中小企業基盤整備機構リサーチャー)の二人によるトークイベント「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」が開催された。私は、西田さんのプロジェクト「.review」に加わっていることもあり、当日のイベントに参加した(.review×ジュンク堂池袋本店ブックフェア)。ただし、Twitterでtsudaる(実況する)と断片化する気がしたので、隅っこの方でポメラでメモしまくった。以下、そのメモを整形して公開する。
「歴史にifはない」とはどういう意味か(歴史における「偶然」と「未練」)
「歴史にifはない」という言葉がある。歴史家が歴史上の仮定を語るとき、「歴史にifはないと申しますが……」と枕詞のように言い訳する言葉としてよく用いられるが、そもそも、なぜ歴史で仮定を語ることがいけないことであるかのように言われるのか。「歴史にifはない」と言い出したのは誰なのか、またそもそもどういう意味合いだったのか。
調べてみると、歴史学者E・H・カーの『歴史とは何か』(1961年の講演録)がその発端になっているようである。それは、近現代史において未練たらしく「こうだったらよかったのに」という思考を批判する趣旨での「might-have-been school(こうだったらよかったのに派、未練学派)」批判であった。
