「放射線」と一致するもの

震災一年目に読み直してみた鴨長明『方丈記』の地震記述

あの大地震から一年。復興はまだこれからの段階である一方、「一つになろうニッポン」のかけ声とは裏腹に新たな対立と罵り合いが繰り広げられた一年であったと思うが、少なくとも多くの人たちが「今まで考えていなかったこと」を考える契機になったとは思う。

わたし自身は昨年6月の文学フリマで『東日本大震災でわたしも考えた』を発表したが、基本的にはわたしのスタンスは「我が身を守ることに汲々とするより、今、ここでできる範囲の無理のない貢献」ということで、ささやかながらできることをやってきたつもりである。たとえば、震災後に買った米は今まで一年間ずっと福島県産である。もちろん昨年秋の収穫分についても、放射線量が厳重にチェックされた会津喜多方産を購入しているため、放射性物質に関してはまったく心配していない。

そんな中、ふと読み直してみたいと思ったのが鴨長明『方丈記』だった。ここには、大地震を含めていくつかの天変地異や遷都という大きな変化をきっかけに、鴨長明が強い無常感を抱くことが記されている。震災をきっかけにいろいろと考えることになったという点に限ってではあるが、現代のわたしたちとも共通しているところがあると思う。

今回は、方丈記の冒頭および元暦大地震関連の記載部分を改めて訳し直してみた。

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「今年の漢字」の「絆」の原義は「束縛」「しがらみ」

2011年12月12日、日本漢字能力検定協会は恒例の「今年の漢字」を発表した。今年の漢字は「絆」だという。同協会の公式サイトの解説によれば、それは人と人との絆、チームワークとしての絆など、非常に美しく好ましいものとして扱われている。

しかし、「絆」という漢字、「きずな」という和語の原義を調べてみると「動物をしばる綱」であり、「束縛するもの」というネガティブなイメージの言葉である。それがいつから美しく優れた美徳として扱われるようになったかはよくわからないが、原義で解釈するとこれも今年の世相に合っているように思われる。

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世田谷弦巻の「ホットスポット」現地報告(蛇崩川の谷さんぽ)

世田谷区弦巻の区道の一部から高い放射線量が検出され、一時はホットスポットではないかと疑われた。しかし、夕方になって「家の床下に置かれていた段ボール箱の中にあった瓶から極めて高い放射線量が検出された」と報じられた。結局、原発によるものではなかったわけだ。

しかし、そのことが判明する前にわたしは現地に向かっていた。現場に着いたのは午後五時過ぎで、夕方の報道はまだ見ていなかった。とりあえず、現地の様子を地理的な関心も含めて報告しておく。

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「被曝」という言葉の誤用があまりにも自然に広まっている

「被曝(放射線にさらされること)」と「被爆(原水爆の被害を受けること)」が同音異義語だという知識は震災後広まったが、一方で「被曝」という言葉の誤用があまりにも自然に広まってしまっているようである。

被曝とは「人体に悪影響を及ぼす可能性のある物質に曝されること」である。したがって、放射線の量が多かろうと微量だろうと、とにかく放射線を浴びたら「被曝」である。ところが、どうやら「健康被害の出るような量(あるいは基準値以上の量)の放射線を浴びること」を「被曝」と考える誤用が広まっているようなのである。

最初にその実例を見たのはmixiで「子どもたちは0.3mSv/yでも被曝すると信じている人」という表現だった。いや、0.0001mSv/yでも被曝は被曝なのである。

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東日本大震災は「電気文明」と「高層緑化型都市計画」が見直される時代の始まり

少々スパンの長い話をしたい。東日本大震災は「電気文明」と「高層&緑化を主眼とした都市計画」を見直す時代のきっかけになると考えている。つまり、20世紀文明の再検討だ。

ただし、誤解してほしくないが、私が「電気文明の見直し」というとき、単純な「昔に戻れ」とか「電気を捨てろ」とか「自然との共生が云々」ということを言いたいのではない。たとえば「さすがにオール電化だと停電時に身動き取れないから代替手段が必要だよね」ということから始まって、電気でなくてもよいことも電気に頼ろうとしている今の文明を問い直すことになるのではないか、ということだ。

また、これより規模は小さいものの、「建物を高層化して空いたスペースを緑化することで防災にもなる」という建築・都市計画思想についても、災害時の根本的な脆弱性が露呈した。これは建物自体の耐震性がいくら大きくなろうとも、「高さ」自体が脆弱性となるという問題点である。

もちろん大震災でいろいろなものが見直されることになるとは思うが、現時点でわたしが特に思うことをまとめておきたい。

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震災後のデマ80件を分類整理して見えてきたパニック時の社会心理

ツイッターの「東北関東大震災に関するデマまとめ」(jishin_dema)」さんが中心となって、主にツイッター上を流れるデマ情報とそれに対する分析の収集・告知が精力的に行なわれており、多くの人が情報提供や検証に加わっている。震災発生直後から1週間程度がデマのピークではあったが、現在も新たなデマは生まれつつあり、また過去に否定されたデマが生き続けているものもある。

そのツイートをもとに@omiya_fctokyoさんがTogetter - 「「東北関東大震災に関するデマまとめ」のまとめ」を作成され、わたしも気がついたら編集に参加している。

今回、この「デマまとめのまとめ」をもとに、震災発生後約1カ月間のデマ80件をピックアップ、パターン別にまとめてみた。

※この記事は震災後1か月足らずの時点でのまとめです。同年6月に発行した冊子『東日本大震災でわたしも考えた』では震災後のデマ100件の分類整理を行なっていますのでぜひこちらもご参照ください。

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日本全国の「藪医者」は21件!藪医者検索でチェック

日本に薮医者はどれくらいいるのか。その疑問を抱いた人は少なくないだろう。私は今回、薮医者の総数を調査した。

「やぶ」を名称に含む病院・医院・クリニックの看板を目にして驚くことがある。そこで、「やぶ」「薮」を含む勇気ある医者は日本にどれくらいいるか、iタウンページ等で調べてみた。※ここで扱っているのは医師としての資質とはまったく関係なく、名前だけの話ですので誤解なきよう。

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極私的百科「閾ペディアことのは」のための「ことのは十進分類法」

 ふと思いついて、自分のための極私的百科「閾ペディアことのは」を作ってみた、という話は前回の続き。これはWikiPedia(ウィキペディア)と同じく「MediaWiki」というWikiツールを使っている。そのため、見かけというか操作などはほとんど同じ。ただ、自分の好みの記事をガンガン登録できるという仕組みである。

 ブログだとある程度その時点で固まった内容であることが多いが、ウィキならいつでも編集可能。そういう意味で両方あれば便利である。

 ところで、MediaWikiが使いやすい理由として、カテゴリ分けが非常に柔軟に使えることが挙げられる。あとでいくらでも変更できるし、どれだけ深い階層でも何とかなる。この点、一応カテゴリ階層化もできるが、その分タイトルがどんどん長くなってしまうPukiWikiなどよりずっと使いやすい。つまり、カテゴリによる整理をしようと思ったら(知る限り、現状)MediaWikiが最適ということである。

 ところが、このカテゴリ分けをどうするかでふと悩んだ。ウィキペディアの分類はあまり整理されていない。そこでいろいろと考えてみたのだった。

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フォトン・ベルトは天文学的にありえない

 フォトン・ベルトについてシカゴ大学天文学部に在籍する天文学者が詳細に矛盾を指摘したデータがありました。ニュースグループでNanomiusという人がフォトン・ベルトについての質問をしたのに対する徹底的な回答です。1995年2月の「The infamous photon belt」という長い投稿のほとんどを訳してみました。

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