「きっこの日記」は日本版「ドラッジ・レポート」なのか?

 昨年の構造計算偽装疑惑で「裏ネタ」を暴露したとして一躍脚光を浴びたのが、「きっこの日記」の「きっこ」さんである。

 自分はあまりこの疑惑に関心を持っていなかったが、「きっこ」という人物について、「実はジャーナリストが書いている」とか「あんなものはジャーナリズムじゃない」といった議論が展開していることを知り、そこで「きっこ」という人物に興味を抱くようになった。

 で、いろいろ調べはじめて最初に思ったのが、「きっこの日記」は「ドラッジ・レポート」と対比して論じるとおもしろそうだ、ということだった。

 だが、待てよ。「ドラッジ・レポート」については『ウェブログ超入門!』でも少し触れたけれども、日本ではほとんど知られていないのではないか? 実際、「きっこ ドラッジ」で検索してもまったく検索結果が出てこないし、だれもその類似(と相違)については考えてないんじゃないだろうか。

 というわけで、きっこという人について論じる前に、マット・ドラッジという人物について紹介しておかねばならないと思ったのである。かのクリントン大統領のモニカ・ルインスキー・スキャンダルを最初にすっぱ抜いたウェブサイトとその運営者について……。

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2006年1月17日01:59| 記事内容分類:ウェブ社会, 時事ネタ| by 松永英明
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 と大仰な前振りをしたが、日本語訳が出ていないので、英語版Wikipediaの記述を翻訳することにする(面倒なので一部省略したが)。この解説を読めば、「事情通」になりうる職業についている人間が、ウェブサイトで自分の手にした情報を公開するというパターン、ジャーナリズムとは距離を置いていることなど、類似点も多く見られる。「きっこは、和製ドラッジ」と言ってもいい要素が極めて多い、というのが私の感想だ。

 もっとも、きっこは、ドラッジを知らないだろうし、知っていても「和製ドラッジ」を狙っているわけではないだろう。

 実は、日本版ドラッジ・レポートになろうとした媒体がある。ゴシップ・メールマガジン「CyBazzi!(サイバッチ)」(とその有料版「プチバッチ」)だ。8万人の読者を抱える巨大なメルマガとなったが、誤報をおそれず、修正と謝罪もいとわない下品な「飛ばしっぱなしメディア」が、第一の日本版ドラッジであることは間違いない。そして、第二の日本版ドラッジがきっこなのだと思う。


ドラッジ・レポート Drudge Report

 「ドラッジ・レポート」は、アメリカでマット・ドラッジが運営する人気の高いニュースウェブサイトである。このサイトは基本的に、政治・エンターテインメント・様々な時事的事件についての主流メディアからの記事、多くの人気コラムニストの記事へのリンクからなっており、ドラッジ自身が記事を書くことはほとんどない。レポートは1994年、週刊の登録制電子メール配信として始まった。現在、ドラッジ・レポートは単純なウェブログに似ているが、ドラッジ自身はそのように分類されることを嫌がっている。ドラッジ・レポートは、モニカ・ルインスキー・スキャンダルのニュースを世間に知らしめた最初のスクープを放ったことで最も有名である。これは、クリントン大統領弾劾と無罪という流れになった。

 ドラッジは、企業の上司、要望を出してくる広告主、記事に影響を与える編集者などのない異端報道記者だ、と自分のスタイルを語っている。評論家は、不正確またはひどく偏った記事について、不注意か無謀か悪意があるかといった評を下している。様々なメディアのニュース・パーソナリティーから批判されてきた。たとえば、ダン・ラザーはレポートを「うわさ発生源」と呼び、ビル・オライリーは二度ドラッジを「民主主義の敵」と呼び、キース・オルバーマンは「モデムを持った大バカ者」と呼んだ。

起源

 ドラッジは、カリフォルニア州ハリウッドにあるアパートから、電子メール形式のレポートを公開しはじめた。現在、ドラッジはフロリダ州マイアミビーチにあるマンションから人気サイトを管理している。ドラッジは、かつてCBSギフトショップを管理していた。ここで内部ゴシップに通じるようになり、産業・メディアのインサイダーとのコネを使って、主流メディアが流す前のスクープをときどきものにしてきた。ドラッジ・レポートは、1996年11月から1997年5月まで、Wired Newsで同時公開された。その後、AOLが1998年までレポートを伝えた。1997年、電子メールレポートの補足としてウェブサイトを開始。やがて電子メールレポートをやめ、ウェブサイト更新に専念することとなった。

 ドラッジがいつレポートを発行しはじめたかは、厳密にはよくわからない。2004年4月2日、「ドラッジレポート9周年」という見出しをサイトに書き立てた。しかし、ドラッジの著書『ドラッジ宣言(Drudge Manifesto)』では、ドラッジ・レポートは「1994年冬」にデビューしたと書かれており、最古の電子メールレポートの日付は1995年3月となっている。その月のUsenet投稿で、ドラッジは自分のレポートをこのように宣伝した。

「編集者マット・ドラッジが焦点を当てた娯楽産業、 政治トークショー、トークラジオ、ものごとの断面図。週刊レポートは月曜日に配信され、NEWS BREAKSでも誉められた。すでにキープレイヤーは呼んでいる。この業界紙はあなたの興味を満たすだろう」

 ドラッジが全国から注目を浴びるようになったきっかけは、1996年の大統領選挙で共和党ボブ・ドール大統領候補とともに出馬する副大統領候補がジャック・ケンプだとスクープしたことだった。1998年、ニューズウィーク誌が「ホワイトハウスのインターン」とビル・クリントン大統領の間の不適当な関係(モニカ・ルインスキー・スキャンダル)についての情報を持っていながら、そのことを公開しなかった、というニュースを知らせたとき、ドラッジは再び全国的な波紋を広めた。ドラッジ・レポート後、ニューズウィークはその記事を出した。加えて、ドラッジはコニー・チャンのCBSニュース退局、ジェリー・サインフェルドの百万ドル契約、英国皇太子妃ダイアナの死などをスクープした。

内容

 ドラッジのウェブサイトは単純なデザインで、全段抜き大見出し、三段組の見出しから成り立っている。ここでリンクされた記事は、主流メディアの外部ウェブサイトにあるものが大半だ。ウェブサイトの残りは、放送局とコラムニストへのリンクで埋まっている。サイトははじめのころほとんど画像を置いていなかったが、今は常に5~6枚の写真を示している。たいていの画像は、他の通信社のサーバー上にあるものを表示している。ドラッジは、許可なくこれらの画像をタグによる引用として使う権利の範囲内だと主張している。

 ドラッジ・レポート・ウェブサイトは、ドラッジ自身による記事もあり、これは2~3段落の長さである(これは以前の電子メール版レポートから受け継がれたスタイルだ)。これらの記事は、主流雑誌や新聞で発表される直前のうわさに関するスクープである。ドラッジはときおり、一般には入手不可能な情報、たとえばニールセン、アービトロン、ブックスキャンなどの視聴率、内部メール告発、選挙の出口調査の内容などを公開している。

 2003年、Rader誌のカミール・パーリアによるインタビューで、ドラッジは自分の記事選択についてこう述べている。

「単に自分が面白いとおもったことを公表しているだけ。記事全体をちゃんと読んだなんていつのことだったか、まるで思い出せないね。たいてい、最初の二段落と最後の二段落ぐらいしか斜め読みしないんだから……。それで、モニターの前に座って、毎秒、編集的な決定を下してるんだ。注意深くなければ、人々の心をどこにも導くことができないよ」

 ドラッジはウェブサイト運営から大きな収入を得ているとされている。ウェブサイト上のバナー広告(これはドラッジが編集権をもたないものだ)で、年間100万ドル以上を儲けていると述べている。かかる経費は、通常のニュースサイトと比較すれば、ほとんどないに等しい。唯一の大きな出費は、サーバー運営費である。サイトは通常、一日に800~1000万ページビューであり、これは2000年代はじめに着実に増えてきた。

誤報

 マット・ドラッジは「レポートの80%は正確だ」と言った……と引用されてきたが、それは間違いだ。この話は、ドラッジの最も有名な誤報事件が発端である。1997年10月10日、ドラッジは次期ホワイトハウス・アシスタントのシドニー・ブルメンソールが妻を殴打し、それを隠そうとした、と報じた。ドラッジは、誤情報を与えられたとして翌日取り下げたが、ブルメンソールはドラッジに対して3000万ドルの名誉毀損訴訟を起こした。ドラッジは、Salon誌に対して、ブルメンソール記事に関しては「約80%の事実を含んでいるように思われた」と述べた。この引用は、それが的確かどうかは別として、ドラッジの記事すべてに当てはめられるようになっていった。

 「80%」というミームは、完全に間違った記事や確証のない記事がレポートに載っていることが明らかになったため、いろいろな記事やうわさで広まっていった。


マット・ドラッジ Matt Drudge

 Matthew Drudge(1966年10月27日生まれ)は、アメリカのインターネットニュース・パーソナリティー。アメリカ発の有名な「ドラッジ・レポート」ウェブサイトの管理人として知られる。このサイトは、1998年、「ホワイトハウスのインターン」とビル・クリントン大統領の間の関係についてのニュース(モニカ・ルインスキー・スキャンダル)を最初にスクープして全国に波及させた。

前歴

 ドラッジは、「レポート」を始めて全国のニュース・ヘッドラインを作るまでは、あまり知られていなかった。ワシントンDC近くのメリーランド州タコマ・パークで育ち、「孤立主義者」でニュース・ジャンキーだったという。1984年、355人中325位という成績で、ノースウッド高校を卒業。「学校で唯一成績がよかったのは、時事についてだけだった」と語っている。若いころ、「ワシントン・スター」の新聞配達をし、大半の時間を新聞読みで過ごした。

 何年もの間、ドラッジは、コンビニのセブン・イレブンの夜間販売員だとか、タイム/ライフ誌の書籍電話セールスマン、ニューヨーク市食料雑貨店での販売アシスタントなど、パートタイムの仕事を数々こなしていた。1989年、ロサンゼルスに引っ越し、小さなハリウッドのアパートに住むようになった。CBSスタジオのギフトショップで仕事を見つけ、苦労の末、マネージャーに昇格していった。インサイド・ゴシップに通じるようになったのはここでのことだった。そして、それがドラッジ・レポートの土台となったのである。

人気上昇

 ドラッジのウェブサイトは、1990年代後半、最初にスクープを流すことによって主流メディアをたたきのめした一連のレポートで人気を得ることになった。ドラッジが全国から注目を浴びるようになったきっかけは、1996年の大統領選挙で共和党ボブ・ドール大統領候補とともに出馬する副大統領候補がジャック・ケンプだとスクープしたことだった。1998年、後に「モニカ・ルインスキー・スキャンダル」と呼ばれることになるニュースをスクープしたとき、ドラッジは悪名を高めた。現在、一日数百万ページビューを集め、それは日々増加し続けている。サイト更新に関しては、自宅兼オフィスで、いくつかのコンピューター上で、多数のテレビニュースチャンネルと多くのウェブサイトをチェックしていると報じられている。

 「Business 2.0」誌2003年4月号では、ドラッジのウェブサイトは広告収入で平均一日3500ドルを稼いでいると推定している。ラジオショーを加え、それに比べればごくわずかなサーバー代を引くと、ドラッジは年間、一つのウェブサイトで年間80万ドルを稼ぎ出していると同誌は推定している。「マイアミ・ヘラルド」誌2003年9月号では、ドラッジは年間120万ドルをウェブサイトとラジオショーから得ていると推測している。2004年4月30日、C-SPANに出演中、ドラッジは1000万ドル台を超えていると認めた。

 何年もの間、 ドラッジはハリウッドのアパートに本拠地を置いていた。現在、ドラッジはフロリダ州マイアミのマンションからウェブサイトを管理している。ドラッジがフロリダに引っ越したのは、その州では所得税制度がなく、ドラッジの企業はますます利益を上げつつあったからだ、という理由もある。

 ドラッジは毎週日曜の夜のラジオトークショーのホストを務めている。「だれでも放送で俺を聴ける唯一の機会だ」とドラッジは言う。サイトと同じく「ドラッジ・レポート」という番組は、プレミア・ラジオ・ネットワーク(Premiere Radio Networks)で配信されている。ドラッジは1998年6月に始まったフォックス・ニュース・チャンネルの土曜夜のテレビショーのホストをつとめたが、短命に終わった。1999年11月、このショーは突然終わり、双方は袂を分かつことに合意した。ドラッジが放送に出ることを拒否したためだ。それは、胎児手術の写真を見せようとしたドラッジに対して、ネットワークが検閲を加えた、というフォックス・ニュースへの抗議だった(これは妊娠中絶とは関係ないが、ドラッジは断固たる妊娠中絶反対派である)。フォックス・ニュースは契約違反のかどで告訴したが、両者は友好的に別れた。契約は元々2001年2月まで続くことになっていた。

 ドラッジは2000年に「ドラッジ宣言(Drudge Manifesto)」という本を書いた。(ISBN 0451201507)

人格と批判

 ドラッジはよく、独立した人民主義者(ポピュリスト)、企業・広告・編集者の影響を受けない者と自認している。

 サイトが2002年のうちに10億ページビューに達したとき、ドラッジは自分の活動をこういった広範囲な言葉で要約してみせた。「どの州でも、また開発された世界におけるほとんどの文明国でも、読者はニュースへの行動・反応をするためにどこへ行けばいいかを知っている――少なくとも一日先に……。いかなる企業とのしがらみもないこのサイトが始まった1994年から、あまりにも多くの人たちに感謝するしかない。完全に自由なレポートを作るという古きよきアメリカの実験を、また新たに試みようというのは、いつでも面白いものだ。政権を握っている人たちが持っているものはすべて、自分自身の支配を手に入れようと行軍する個人の群れによって、失われることとなるのである」

 しかしながら、評論家たちは、ドラッジがジャーナリズムに貢献したとは考えていない。ドラッジが実際にスクープしたネタというのは、完全に他の報告者たちが考え、調査し、資金を出し、書いたものばかりである。ドラッジの勝訴に終わった誹謗中傷に関する訴訟では、判決で、ドラッジは「記者でもなく、ジャーナリストでもなく、ニュース収集者でもない」と連邦判事が記している。ドラッジの最も有名な業績であるモニカ・ルインスキー・スキャンダルのスクープは、ニューズウィーク誌が公開しないことにしようと決めてきた記事を、ドラッジが先に公開してしまったというだけのことだ。

 多くの人にとって、ドラッジの政治に対する考え方は、極めて保守的であるとされている。そして、ウェブサイトの記事でトップに持ってこられるのは、保守を賞賛するか、リベラルを批判するものである。これは、合衆国の保守エスタブリッシュメントの代弁者じゃないのかという批判を受けることにもなっている。しかし、ドラッジはエスタブリッシュメント保守主義者と距離を置こうとし、自分の政治思想はリバタリアニズムを反映していると繰り返し主張している。ドラッジは、政治と関係ないニュースドラマ(接近中のハリケーンの進路)や、三流紙のネタ(異常に体重の重い赤ちゃんが生まれた)といったことにも強い関心を持っている。

 もう一つの興味深い話題は、ドラッジが繰り返し個人攻撃・ほのめかし・プライベート情報を公開しているということだ。たとえば、モニカ・ルインスキーや、シドニー・ブルメンソールについてのレポートである。これとは対照的に、マット・ドラッジはゲイだというメディア報道が繰り返されており、これはオンライン・マガジンSalon.comで公開された記事が発端となっている。それに続く記事が、ニューヨークタイムスのニュース週刊誌系列であるボストン・フェニックスなどで報じられた。保守派の元記者デヴィッド・ブロックは、マット・ドラッジのゲイ・ライフに絡む自分自身の関係を、自著『Blinded by the Right』で記した。ドラッジは自分はゲイではないと否定してきた。

 誤った記事を公開することに対して、ドラッジは無謀だとか不注意だと批判されている。最も有名なのは、1997年の記事から生まれた名誉毀損訴訟で、ここでドラッジは、後任のホワイトハウス・アシスタントのシドニー・ブルメンソールが妻を殴打し、そのことを隠そうとしたと報じた。ドラッジは「誤情報を与えられた」と言って翌日にはこの記事を取り下げたが、ブルメンソールはドラッジに対して3000万ドルの名誉毀損訴訟を起こした。名誉毀損訴訟は2001年に終わった。ブルメンソールは、ドラッジが反訴しなければ訴えを取り下げるという条件に同意したのである。この事件が約5年もの間続いたのは、ドラッジは誤った記事を悪意をもって発表したのだ、ということについての挙証責任がブルメンソールにあったからだ(これは、ニューヨークタイムス社対サリバン訴訟で判例が確立されている)。

 ブログについてのドラッジの意見は、極めて敵対的である。ブログを一部使っているOrbusmaxやDilbyのような「ドラッジ風」ウェブサイトが多数生まれた。

 ドラッジは、キース・オルバーマンには「モデムを持った大バカ者」と呼ばれ、ニューヨークタイムスには「人の仲を裂いてこの国に君臨している者」と呼ばれ、カミール・パーリアには「大胆な、企業家的な、自由奔放な、情報指向のアウトサイダーで、この国にはこういう人がもっと必要だ」と言われている。ドラッジは、カミール・パーリアによって称揚されたが、実際にはパーリアはドラッジよりもはるかに左に位置する。

絵文録ことのは「ドラッジからきっこへ――ゴシップ情報サイト」シリーズ

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2006年1月17日01:59| 記事内容分類:ウェブ社会, 時事ネタ| by 松永英明
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