「詩」と一致するもの

[老鼠愛大米](1)ネットから生まれたヒット曲、同タイトル小説もテレビドラマ化。「網絡歌手」の誕生

 ネット上で曲が大人気となり、ネット歌手として一躍有名となった人がいる。この曲はFlashなどで好評を博したことから火がつき、他の「ネット歌手」や実力派アイドルグループTwinsも競って歌っている。また、この歌の作者によるネット小説もテレビドラマ化、撮影進行中だ。

 ある意味「電車男」を超える勢いで注目を集めている中国の大ヒット曲「老鼠愛大米」についての情報をまとめてみた。

続きを読む: [老鼠愛大米](1)ネットから生まれたヒット曲、同タイトル小説もテレビドラマ化。「網絡歌手」の誕生

日本語ラップ問題と音節構造

 最近、「日本語はラップに向いていない」という話題が盛り上がっているようなので遅ればせながら。確かに、日本語の音節構造はあまりラップ向きではないという印象はわたしも持っている。ただし、それは日本語ラップ曲がいいとか悪いとかいうこととはまったく関係しない。ラップというのが、日本語と音節構造の違う英語から生まれたのだから、単に当たり前のことを言っているにすぎない。それから、日本語ラップはあまり聴かないので、擁護も批判もする気がないことは最初に断っておく。

 個人的には、広東語ラップがちょう気持ちいいと思っているのだが、本当に広東語というだけでカッコよく聞こえる。つまり、ラップ向きの言葉とそうでない言葉は確かにあると思うのである。もちろん、向いていない言語でラップに挑戦するのは面白いことだと思うが、生まれながらのハンデというものはあるはず。

 というわけで今回は軽く、あくまでも言語学的に。

続きを読む: 日本語ラップ問題と音節構造

ガードレール金属片 謎を「解明」してみせる人たち

 日本全国で「ガードレールに謎の金属片」という話題がマスコミを通じて盛り上げられているが、結局のところは「接触した車体の一部がはぎ取られて残ったもの」ということになりそうだ。しかし、中には「犯人」のプロファイルをやってのける「犯罪心理学者」もいる。そういうコメントなどをネットのニュース検索で洗い出してみた。テレビの発言なんかも集められたら面白いんだろうけれども。

 以下、google ニュースで「金属片」を検索した結果の600件余りのニュース記事、ならびにはてなブックマークで「金属片」を検索した結果から関連するものをまとめた。

続きを読む: ガードレール金属片 謎を「解明」してみせる人たち

「ロリ」「ショタ」「萌え」「攻・受」もそのまま通じる。日本からの影響を受けまくっている台湾オタク用語集200

 台湾ではACG(アニメ・漫画・ゲーム)というのが「オタク」の世界である。

 たまたまネットで台湾のオタク用語集を見つけてしまった。そのほとんどすべてが日本から輸入された概念で、日本のアニメ・漫画・ゲームの影響力はあまりにも大きい。台湾ならロリもショタも萌えも(オタクには)通じるようである。

 ゲームとかアニメとかよくわからんところもあるが、とりあえず訳してみたので載せておく。誤訳があればごめんなさい。ただ、原文の説明そのものが間違っている場合は責任を負いかねる(台湾ではそう受け取られているということで)。また、日本ではなく台湾での事情を反映して意味が変わっている場合もあると思うのでご了承を。

★5/21 23:00追記・修正。特にどこを修正したかは明記していない。

続きを読む: 「ロリ」「ショタ」「萌え」「攻・受」もそのまま通じる。日本からの影響を受けまくっている台湾オタク用語集200

「情人節」の由来【中国的バレンタインデー(1)】

 中国ではバレンタインデーは「情人節(チンレンチエ)」といい、日本のように女性が男性にチョコレートを贈るというのではなく、恋人同士がプレゼントし合う日となっている。というわけで、中国のサイトからバレンタインデー関連の記事をピックアップし、翻訳してみた。

 まずは「情人節」の由来と歴史について。

続きを読む: 「情人節」の由来【中国的バレンタインデー(1)】

文章は難しいという観念を打破する必要性

 さて、こういうふうに難しいという思いが生じてくる源を観察して、そしてこれを排除することを工夫してみるならば、まず第一に「文章は作りにくいものである」という前提観念を打破することが大必要である。なぜならば、このような前提的観念がいつのころから一般の人々の間に起こったことであるか不明であるが、とにかく甚だしい有害無益の観念であって、この観念は確実に実用的文章を作る人を失敗させる主な原因となっているに違いないのである。

 なぜならば、何ごとによらず、自己の目的を遂げることが無理だとか、遂げることは難しいと信じるならば、物事に当たる勇気を減殺し、精力の充実を妨げ、智慮を萎縮させ、技量を衰えさせて挫折させるための条件となるからである。したがって、文章は作りにくいものであるという観念が前もって定まっているのは、確実に一般の世の中の人に文章を書きにくくさせている一大原因なのである。

 力士が二度も三度もある力士に負けてしまうと、ついにはその力士に対して勝ちにくいものであるかのような予想をしてしまう。で、一度その予想をしてしまうと、その力士に対するときは、他の力士に対して力をふるうときのように存分に働くことができない――俗に言う「固くなる」という状態になってしまって、敵を呑む勇気はすっかり削がれ、精力は満ち足りることがなく、妙にある点にのみ偏ってとどまり、智慮は萎縮して判断力は敏捷さを欠くようになり、技量はありながら「持ち腐れ」になってしまって、ついに不覚をとりがちの形勢になる。

 すると世の中の人は、某力士は某力士の「苦手」であると評するのが常であるが、実際にまた苦手な相手に向かっては、勝つべきところでも負けがちになるものである。

 これは要するに、最初に何度かの偶然の結果からついに面白くない「予想」を生ずるに至った、その「予想」のために自己の本領を発揮できず、その本領発揮が妨げられたところから不幸・不満の結果に至ることは間違いない。

 何ごともこのとおりで、消極的な予想は著しく勇気を削ぎ、したがって縦横に手腕をふるうことができなくなってしまうのである。

続きを読む: 文章は難しいという観念を打破する必要性

Deutsche WelleのBOBs=ベストブログ 国際ウェブログ大賞2004

 ドイツのラジオ局ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle)が世界各国のブロガーやジャーナリスト、メディア学者を審査員として選んだ「ドイチェ・ヴェレ・ベストブログ国際ウェブログ大賞2004(The BOBs - BEST OF THE BLOGS - Deutsche Welle International Weblog Awards 2004)」が発表された。

 ブログはマスコミに対抗するメディアになるか否かとか言ってる人は、とりあえずここで受賞したジャーナリスティック・ブログをチェックしてからものを言ってほしいものである。

続きを読む: Deutsche WelleのBOBs=ベストブログ 国際ウェブログ大賞2004

君が代の解説変更:在ドイツ日本大使館

在独日本国大使館の「君が代」の訳文が訂正されている。君が代の訳語に「君主」や「支配」という表現が含まれることが問題視されたものだが、すでに修正済み。今回はその修正前・後を比較してみたい。

続きを読む: 君が代の解説変更:在ドイツ日本大使館

実用的文章を作るのは容易である

 実用的文章が本来持っている約束はすでに述べたとおりであるが、さて、この実用的文章を性質上から分類してみると、何通りもないものである。

 魏伯子((【魏伯子】魏際瑞(1620-1677)、字は善伯、原名は祥。17歳のときに際瑞と改名する。魏禧の兄で、伯子先生と呼ばれる。幼いときから学問を好み、記憶に優れ、兵・刑・礼制・律法の各部門で研究を深めた。20歳のとき、すでに三尺以上の詩文を書いていた。著書に『魏伯子文集』十巻、『雑俎』五巻、『四此堂稿』十巻がある。『与師弟論文書』は中国古代現実主義文学の中の傑作。))が「詩文は情(叙情詩)と事(叙事詩)と景(叙景詩)のどれかである」と言っているが、実用的文章であれば、

  • 実用的文章は
    • 事を記録する
    • 事を説く
    • 意を伝える
    • 情に訴える
    • 以上四種または三種または二種の混合

にすぎないのである。

 報告だの記録だの契約だのは「事を記録する」のである。

 論難だの解釈だの批評だのは「事を説く」のである。

 命令したり主張したりするのは「意を伝える」のである。

 勧誘したり陳謝したりするのは「情に訴える」のである。

 言い換えれば、芸術的文章が情という経路を取って人の思いに訴えるのとは違って、実用的文章は直接に人の知に訴え、意に訴え、情に訴えるものである。そして、その分量を言えば、知に訴えることが最も多くて、情に訴えることが最も少ないものである。

 しかし、人の何に訴えるにしろ、とにかく実用的文章は、記すべき事柄、説くべき理屈、伝えるべき意思、訴えるべき情といった内容がまず存在して、そして後に文章が作られるわけであるから、直接的には何もないところから作り出される芸術的文章とは大いにわけが違って、品物があればそれで場所がふさがるような道理によって、おのずから文章は容易に書かれるべきである。

 そう、実用的文章はおのずから容易に書くべき道理があるのである。

実用的文章の特質

 さて、今これから実用的文章がどういうものであるべきかということを説き、続いて、実用的文章はいかにして書くべきかを説こう。

 実用的文章というものは、まず第一にその特質として、書かれるべき必要があって書かれるものなのである。

 詩歌・小説の類の芸術的文章は、書かれるべき必要があって書かれるというよりは、むしろ作り出そうという希望があってから作り出されるといってもいい。あるいはまた清水がわき出たりとかするように自然に作り出されるものであるといってもよいものである。

 しかし、実用的文章はそうではない。まずその文章の上に書かれるべき事柄があって、それから書かれるものである。自然に流出するものでもなければ、一つ文章を作ってみようという好事に近い願望から作られるものでもない。知らせようと思うある事情があるとか、論じようと思うある理屈があるとか、あるいはまた訴えよう、勧めようと思うある事柄があって、そして書き出されるのが実用的文章である。

  1 2 3 4 5 6  

アーカイブ

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。
過去に書かれたものは月別・カテゴリ別の過去記事ページで見られます。