プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く

 フォトン・ベルト伝説の中で、何が真実であり、何がウソなのか。発端となった「フォトン・ベルト物語」から1年半の後に公開されたクレア・ウィリアムスの記事「プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く」The Pleiades in Fact & Fiction -- Exploding the myth of the Photon Beltが非常にわかりやすいので、全訳してみた。

2004年9月24日12:48| 記事内容分類:天文学・地学, 民俗学・都市伝説| by 松永英明
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プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く

By クレア・ウィリアムス(Clare Williams)

UFORIC Communique 1992年10月号掲載

 ネクサス(Nexus)マガジンの熱心な読者なら、「フォトン・ベルト物語」という記事が1991年2月号に掲載されたことを覚えているでしょう。

 私は楽しんでその記事を読み、冗談として一笑に付したのですが、たくさんの人たちがこの記事を真剣に受け取って、何やら心配をしているようです。

 この話はロマンチックかもしれませんが、まるで事実に基づいていないと言わざるをえません。これはおうし座(金牛宮)のプレアデス星団にまつわる現代の神話になったようですが、現代の科学知識とは反するものです。この神話は、疑似科学、宇宙存在と名乗る者からのチャネリング・メッセージ、聖書予言、無知、言いっぱなしが組み合わさってできあがったように思われます。学会への一般的な不信、科学的思考の誤った解釈によって焚きつけられています。

 おそらくは一人の大学生のいたずらとして始まった物語によってこんなに多くの人たちがとらわれているのは、残念ながら、この社会の科学教育の程度を反映しているのです。

 この記事を読まなかった読者のために、手短にまとめると以下のとおりです。

 1961年、人工衛星に備え付けられていた装置が外宇宙にフォトンベルトを発見した。このフォトン・ベルトあるいはマナシック・リング(Manasic Ring)は、科学者が研究室で再現できないものであるが、プレアデスを取り囲み、太陽系まで400光年の長さで伸びている。ホセ・コマス・ソラという人物の言葉の引用によると、太陽はこの星系の軌道上にあり、この星系の星はすべて惑星を従えているという。太陽はこの星系を2万4000年かけて一周する。この間に地球は1万年の闇の時代と、2000年のフォトン・ベルトの光の時代をすごす。今、まもなくフォトン・ベルトに突入しようとしており、その上、人類は「瞬く間に」大気型存在(Atmosphereans)となり、夜は存在しなくなる。

 記事に添えられた図はプレアデスの6つの星メローペ、アトラス、マヤ、タイゲタ、エレクトラ、セレノと太陽が、プレアデスに属するアルキオネをめぐる軌道上にあり、フォトン・ベルトに囲まれているというものである。

 この物語について何人かの人から質問を受けましたので、事実と虚構を分別し、この記事の起源を追跡することにしました。

 この記事は、オーストラリアUFO空飛ぶ円盤研究誌(Australian UFO Flying Saucer Research Magazine)に載った記事の再録でした。電話番号も添えられていました。その電話番号は、サウスオーストラリアの有名なUFO研究家のものでした。そして、その話は当時彼のグループのメンバーだった一人の大学生によって書かれたものだというのです。この学生は今は有名な核施設の物理学者となっているようです。しかし、このUFO研究家は、この学生がどこで情報を得たのかについてははっきりせず、ストロモ山天文台の天文学者とともにその話を確かめようとしたといいます。どの内容が実際に確認されたかはよくわかりませんでした。

 幸い、名前の上がった天文学者を知っていたので、会いに行きました。その研究者と話をしたことはぼんやりと覚えているようでしたが、会話の内容の詳細を正確には覚えていませんでした。フォトン・ベルトの存在を確認したことはなかったが、プレアデスそのものについての話はしたかもしれない、と言うのです。ストロモ山はこれまでフォトン・ベルトについての質問を受けてきたが、私と同様、これはまったくの冗談だと受け止めている、ということです。

 では、何が事実で何が虚構なのでしょう? まず最初に、1961年の人工衛星がここに書かれているようなフォトン・バンドを検出するだけの装置を搭載していたという証拠をまったく発見できませんでした。その時代の人工衛星は、今の基準で言えばまったく粗雑なものであって、主にラジオ波長による遠距離通信用でした。

 次世代の人工衛星や探索機はもっと精巧な機器を積んでおり、フォトン・ベルトも検出する能力があるはずですが、そのようなことはまったく報告されていません。これは科学者が秘密を隠しているというような話ではなく、単純に、今まで検出されなかったということなのです。

 私が受け取った他の情報によれば、このフォトン・ベルトに先行して、電磁気のヌル・ゾーンがやってくるということになっています。このゾーンは、完全に電磁場の存在しないエネルギー的な真空であるといわれています。このヌル・ゾーンがもし存在したならば、近年の宇宙のマイクロ波背景放射に関する数々の調査で出てきたことでしょう。この背景放射が全天に均等に広がっていることは注目に値します。つまり、電磁気ヌル・ゾーンは存在しないのです。

 また、フォトン・ベルトは「マナシック・リング」とも呼ばれ、「研究室での実験では再現できなかった現象」だといいます。「manasic」という単語の意味がよくわかりません((リーダーズプラス英和辞典によると、manasは「【ヒンドゥー教・仏教】意《心の思量するはたらき》」とあり、その形容詞形がmanasicである。))。mana(マナ)という単語から来たのでしょうか((マナ【mana】(メラネシアの土語で、「打ち勝つ」「勢力ある」などの意) メラネシアを始め広く太平洋諸島に見られる非人格的・超自然的な力の観念。精霊・人・生物・無生物・器物などあらゆるものに付帯し、強い転移性や伝染性がある。また、この観念に宗教の起源を求める学説をアニマティズムあるいはマナイズムという。(広辞苑)))。これが研究室で再現できなかったとしても驚くべきことではありません。だれもマナとは何か知らないし、辞書の定義でも「神秘的な力」としかありませんから。

 それから、プレアデスそのものです。ホセ・コマス・ソラとは誰だかわかりませんが、間違ったことを引用したのか、引用するときに間違ったのか、どちらかです。太陽はプレアデス星系の一部ではありませんし、その軌道がプレアデスを2万4000年かけて周回しているということもありません。

 プレアデスは太陽系から125パーセク=407.5光年のところにあります。太陽がこの軌道上にあるとして簡単に計算してみると、その軌道の速度は0.107Cつまり光の速さの10分の1以上のスピードとなります。これはおよそ秒速3万2000kmとなります。この速度がもし本当であったならば、天文学者だけでなくだれの目にも、生きている間に、空の星座が見た目にも劇的に変化していくことになるでしょう。

 プレアデスはおよそ100の恒星のゆるやかな集まりで、その平均年齢はおよそ7800万年です。これは非常に若い星々です。50億歳と見積られるわが太陽よりもずっと若く、この惑星・地球よりもはるかに若いのです。

 この星々はスペクトル・タイプBの非常に熱く明るい星であり、スペクトル・タイプGの太陽よりも10倍になります。この星々は星間ガス雲、星雲から生まれ、まだそこから遠ざかっていません。星雲の名残は星団の写真に見ることができます。このもやのような星雲状態は、内部の星の光で輝いており、これがフォトン・ベルト神話を生み出したものではないかと思われます。

 この星々の固有の動きや、宇宙での進路の研究では、これが拡散過程にあることがわかっています。図解で描かれているように、この星々がアルキオネの周囲を巡っているということはありません。また、これらの星々のいずれにも惑星があるという証拠はまったくないといわざるを得ないのです。いくつかの星には惑星系があるかもしれません。しかし、これらの星は非常に若いもおであり、惑星ができるには星ができるよりもずと長い期間がかかるということは忘れてはならないことです。生命が存在しうる惑星がそこに育つだけの時間はなさそうです。7800万年というのは、宇宙論や地質学的なタイムスケールからいえば、非常に短い期間です。

 この惑星が闇から出て光の中に入るということを考えると非常に楽しいけれども、夜行性動物はそうじゃないだろうなと思います。わたしたち一人ひとりが自分で悟りを求めるほうがずっといいことです。この悟りは、外部からの力によって果たされることはありえません。プレアデスからのフォトンの大洪水はこの惑星を救うわけでもなく、その惑星の住民を悟った大気型人類に変えることもないでしょう。自分の問題は自分で解決する必要があるのです。


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2年ほど前、知人の勧めで「フォトンベルトの謎」と言うような題の本を買って読みました。それ以来、我々の世界は2012年12月22日まで、と思い定めていましたが、今日このホームページを読んで少し明るい希望が持てました。しかしフォトンベルトが真っ赤な嘘であっても、最近の地球環境の悪化には決して油断できないと思います。オゾンホールの拡大・温暖化・森林草原の砂漠化・それによる食糧生産の減少・南極北極の氷溶解による海面の上昇と陸地の埋没・異常気象による激甚災害の多発等など・・。人類の生存を脅かす環境悪化がそこまで迫っています。それと時間の経過が異常に早くなっていると思います。つまりこれらの変化は、わずかここ4~50年間(長く見ても200年間程度)のことです。地球の歴史46億年から見て、ほんの針の先でつついたよりもっと短い期間ですし、人類の歴史100万年から見ても、四大文明発祥5~6000年から見てさえも、短期間に驚愕の大変化が生じていると感じます。もし時間の経過が早くなっていなければ、これだけの変化は数百年数千年かけて、起こるものではないでしょうか。アインシュタインの相対性理論によれば、時間の進み方は早くも遅くもなるそうです。勿論実感した事はありませんが、万一現代は超スピードで時間が経過しているとすると、これから先どんな状態になるのでしょうか。オットついうっかりくだらない事を書いてしまいました。


以下の論文についてご意見がいただければ幸いです。

◎タ゛―ウィンの進化論は間違っている

生物進化論について                       2006年7月18日

「我々は一体どこからきたのだろうか」、ダーウィン以後も我々人類の大きな関心の的でした。新しい事実が解明されるごとに別の新たな疑問が生じ、その疑問の輪は大きくなってきています。

我々は長い間「ダーウィンの進化論は生物の進化の歴史を明快に説明した最も適切な理論である」と一般に思われ、学校で教えられ、無条件でそれを真実として受け入れてきました。しかしながら最近の分子生物学の研究成果を知れば知るほど、生物が自然に進化し、ついには人にまで進化してしまったと考えるには、あまりにも大きな矛盾点が含まれていることが明らかになってきました。その矛盾点を考察してみたいと思います。


※ ヌクレオチドについて

DNAを構成するヌクレオチドは、糖、リン酸、塩基により構成されていますが、塩基には(A)アデニン、(T)チミン、(G)グァニン、(C)シトシンの四種類があります。また、この四種類の塩基のどれが糖に結合するかによって、四種類のヌクレオチドがあります。

 ところが、ヌクレオチド自体はDNAを構成する最も初期において、DNAの製造工場ともいうべき、リボソームが生ずる以前は、それ自身、隣にくるヌクレオチドの種類を決定する能力は持たない。すなわち、各ヌクレオチドはそれぞれ互いにランダムにしか結合する能力しか持っておらず、子孫を残す能力のある生物となるには多くの困難が伴います。

 DNA1万個のヌクレオチドで構成されている子孫を残す能力を持った細菌はその生命体のDNA鎖は4¹ººººという膨大な組み合わせの1つとみることができます。その生命体のDNAが選択的にヌクレオチド鎖をつくることはリボソームそれ自身がRNAからなりたっており所謂「鶏が先か卵が先か」という論法が示すごとく、一見無視されがちなこの問題にも実は重大な問題が含まれています。『生物が選択的にヌクレオチド鎖をつくるためにはリボソームが必要である』。このことから考えると、最も初期の子孫を残す能力を持った原始生命体はリボソームを中心とした生命体であったに違いない。

しかし、このリボソームで生産できるDNAは親の持っている遺伝情報を受け継いだものであり、新たな機能が加わったり、別の生命形態になったりすることは、通常あり得ない。このリボソームにヌクレオチド配列を変更させ得る外部からの衝撃が加わったとしても、新たな機能の追加等は通常望みえない。

 哺乳類の染色体のDNA鎖1本だけ見ても、そのヌクレオチドの数は百万個近くあるといわれている。そのヌクレオチド配列の組み合わせは4の百万乗という膨大な組み合わせになります。このように天文学的組み合わせに至る進化の過程の中では奇形を生ずることもなく都合の良い遺伝情報のみを増加させ続けることはヌクレオチド自身に隣接するヌクレオチドを選択する能力がないことから考えて、不可能と思われる。

 ここで正四面体の賽子を想定してみよう。この賽子に(A)アデニン、(T)チミン、(G)グァニン、(C)シトシンと書いて百万回投げてみたらどうなるであろうか。賽子に特別な仕掛けでもこうじない限り、当然のことながら賽の目はランダムに出る。ヌクレオチドに、隣接するヌクレオチドを決定する能力がないことから考えてmRNA、tRNA、rRNA、DNA等のシステムによる繁殖以外にはあり得ない。


※ 突然変異に方向性は存在しない。

 生物の進化を考察するに、突然変異による以外に生物が自然に進化する可能性は全く見出せない。しかし、突然変異はその変異方向はランダムであることを考えると、各個体はそれぞれ著しく姿、形、特性が異なっている筈である。しかし、各生物種はその種類ごとに、かなり整然と分別できるものが圧倒的に多く、現在までに発見された化石は、その殆どが奇形ではなく均衡のとれたものである。

 この疑問に対する答えとして「突然変異の変化分が微小なため奇形として目立たない」という考えがある。しかし、それは間違いであることを理解するために染色体の数が異なる生物種間について考えてみよう。

染色体の数が異なるほどの突然変異は微小な突然変異ではあり得ず、むしろ極端に大きな突然変異であると見ることができる。したがって染色体の数が異なる別の種類に奇形体を生ずることなく進化することは不可能である。

 また、これに対する反論として、染色体の数が変化するほどの大きな突然変異が起こり奇形体が発生しても自然淘汰により急速に均衡のとれたものへ修正されたために奇形体の数が少なく発見されないだけである。」という意見も考えられるが、これに対する反論として

(1) 染色体の数が変わるほどの大きな突然変異を起こした生物個体が、自分の子を残すためには、現在の地球上の生命形態からみると配偶者がいなけれはならず、その配偶者も同一の時空間に存在しなければならない。
 
(2) 生命形態が変わるほどの大きな突然変異を起こした生物個体は、それ自身のDNAやRNAに大きな遺伝情報の変更を受けており、子孫を残す能力が消滅しなかったとしても、子に遺伝することを考えると、自然淘汰により急速に奇形体を残すことなく均衡のとれたものに修正されることは不可能である。
 
(3) 突然変異を生じても、自然淘汰によって子孫に有害な遺伝情報はくいとめることができる。しかしながら突然変異はその方向性がランダムであることから、あらゆる形に変化する可能性を持っており、その変異方向が生命を存続し得る形で残れば、種々の形状をもった生命体に変化し得る。例えば、三つ目の人間は三つの目があること自体は生命の存続に重大な影響を与えないし、耳の長い人間がいても、それ自体が生命の存続自体に重大な影響を与えるものとは考え難い。生命体が多くの種類に分かれてゆく手段として突然変異は大きな可能性を持っているが、突然変異のもたらす方向性はランダムであることを考えると子孫に有効な機能を新たに与えたり、あるいは幾何学的で美しい形状に自然に進化することは大量の突然変異体なしにはあり得ない。突然変異と自然淘汰の相互作用により進化したとするなら、この地球上で発掘される化石はその殆どが奇形体のはずなのに現実はその殆どが均衡のとれた形状あるいは幾何学的で美しい形状をしている。したがって、この地球上の生物が突然変異と自然淘汰によって進化してきたものでないことは明白である。


進化の条件

「ある種の生物から別の種の生物に自然に進化する」という生物進化論を考察するに、その変異方向がランダムであることを考えると、この地球上の生物はダーウィンの進化論で説明するのは不可能である。ある惑星においてアミノ酸を基盤とする生命体が存在する場合、その惑星で生命体が自然発生的に生じたものであるとするなら、その化石の多くが奇形体のはずである。また、そのような惑星は生物に突然変異を起こさせるほどに強い紫外線、エックス線、あるいはその他の放射線あるいは電磁波など、何らかの衝撃力があり、突然変異と自然淘汰を繰り返し、過去の進化の歴史の中で多くの奇形体を生じてきたに違いない。

 しかしながら、間断のない突然変異は子孫にとって都合の良い遺伝子、好ましい遺伝子をも破壊し、生命を絶滅に導くことになる。子孫にとって都合の良い遺伝子を残していくためには、その生命体が一定数以上になってから次の突然変異が起こらなければならない。言い換えるなら「突然変異には、ある一定以上の長さの周期が伴わなければ突然変異と自然淘汰のバランスは崩れ、生命の進化にとって都合の良い遺伝子も雲散霧消する」。

 生物に間断なく、その遺伝情報を変化させるほどの衝撃が加わった場合、その変異方向はランダムであることから、突然変異の繰り返しの中で、稀に生物にとって都合の良い遺伝子αが生じても、その存続の確率は代を重ねるごとに低くなり、最終的に遺伝子αは消滅する。

 「突然変異に、ある一定以上の長さの周期が伴えば、突然変異と自然淘汰のバランスがとれ生命の進化にとって都合の良い遺伝子が残る確立は高くなる」。このことを理解するために簡単なモデルを考えてみよう。

条件
1. 子孫を残す能力のある生物に遺伝情報を変更させ得るほどのエックス線あるいは他の放射線あるいは電磁波などによる遺伝衝撃が加わり、8分の1が子孫を残す能力を維持できるものとする。
2. その生物が次の世代を遺伝子への衝撃なしに誕生させるのに必要な周期を1Tとする。ただし、ここではTは任意の時間とする。
3. 遺伝衝撃は5T間隔とする。
4. 5Tごとの遺伝衝撃以外はA-B間、B-C間は遺伝衝撃が加わらないのとする。
5. それぞれの世代は2倍の子孫を残すことができるものとする。

A:初期設定の段階     B:5T後          C:10T後
   (16個 →2個)    (32個 → 4個)     (64個 → 8個)
     ↑   2→4→8→16→32    4→8→16→32→64
   遺伝衝撃          ↑ (遺伝衝撃の周期5T)  ↑ 

 結論

 衝撃が加わる直前の16個は5T後に32個になり10T後に64個になる。遺伝衝撃の周期が4T未満の場合は、この生命体の進化はあり得ない。

哺乳類のように複雑な遺伝情報を持つ生物が突然変異と自然淘汰を繰り返して進化していくためには膨大な遺伝衝撃の周期と広大なスペースが必要となる。そして、突然変異と自然淘汰の後に大量の突然変異体の足跡を残すことになる。だがこの地球上の化石の中には突然変異体の足跡は見受けられない。この地球上の生物が突然変異と自然淘汰の結果存在するものでないことは明白である。では我々は何故存在するのであろうか。テレビもラジオも、自動車も作られたればこそ存在する。ましてテレビ、ラジオ、自動車などより遥かに高度な人間という存在が、自然に発生したと考えるほうに無理がある。

 ここで注目しなければならない事がある。それは「絶え間ない遺伝子への衝撃は自然淘汰と突然変異のバランスを崩し、遺伝子を破壊し続けてゆく」ことである。もし、核戦争が起き大量の核兵器が爆発した場合、その放射能汚染はあらゆる生命の遺伝子を破壊し続け、奇形と生きることの苦しみを経由して、確実に生命を絶滅に導くことになる。放射能の半減期を考慮しても、自然淘汰により正常遺伝子にもどることは望み得べくもない。

我々人類は核兵器の存在の事実をもう一度見直し、自分たちの子孫に何を残そうとしているのか、真剣にその意味を考えなければならない。この地球にいる我々人類の存在の意義は地球と生命を破壊することではなく、守り育ててゆくことにある。核兵器はいつまでも存在し続けている。核兵器は永久に使われることなく存在し続けてゆくことができるのであろうか。優しい人間も、冷静沈着な人間も、時には攻撃的になる人間の性向を考えると、それは甚だ疑問である。

『相手の国が核兵器を持っているから自分たちも持つ、相手が優れた防空システムを持っているからこちらも持つ、相手が攻撃するからこちらも攻撃する』そんな国防意識が世界を席巻している。戦争が起きても「私の所為ではない」、誰もがそう思っている。「核兵器を廃絶するために私一人が活動しても、大した働きはできない」、多くの人はそう考えている。

しかし、核兵器は本当に使われることなく、永久に存在し続けることができるのだろうか。核兵器の管理は、常に不安定な状況にある。核廃絶のエネルギーは「一人」の参加によって、より大きなエネルギーになる。神の存在を信じている貴方も、神の存在を信じていない貴方も、子供や孫が奇形や生きる苦しみの揚句の果てに滅亡することは望まない筈だ。核戦争が起これば、運良く生き残る貴方もあなたの子供や孫も、死ぬまで続く塗炭の苦しみを味わう事になるのだ。

素人分子生物学研究家      遠藤 良樹

ありがとう・・・本当にありがとうございます。 わたしはあるひフォトンベルトのことを耳にしてからほんとうに不安で夜も眠れないほどでした。しかし、皆さんの説を聞いて、とても安心しました・・・。ありがとう。

フォトンベルトはほんとにおきるのですか?なにがおきるのですか?

私が一番不思議に思うのは、地峡規模の災厄を訴えている輩のほとんどが、ただ恐怖心を煽り立てるだけ煽ってそれを用いて大金の動く商売をしている事です。
本当に救済の意味を持たせているのなら遍く人助けをされたら宜しい。
セミナーと称する会合にお金をつぎ込む余裕があるのなら、是非困窮する人々に寄付をすべきです。
「地獄に堕ちる」と脅す教祖のような振る舞いは醜い限りです。
個々の方が仏心を持って生活していったなら状況はいつでも好転します。
滅亡よりも上に述べたような即物的かつ刹那的な感情を持つ輩達の跳梁跋扈の方がとても心配です。

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このページは、松永英明が2004年9月24日 12:48に書いたブログ記事です。
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