幸福実現党の研究(7)幸福の科学/幸福実現党活動年表

衆議院選挙の結果も判明し、幸福実現党が一議席も取れずに終わった。このあたりで幸福実現党の「政策・教義」ではなく「行動」について触れてもよいだろう。

「今起こっていることを理解したければ、まずタイムラインを作ることだ」と、あるメルマガ発行人が語っていた。そこで、幸福実現党の研究に関しても、事実関係のタイムラインに沿って調べることとした。以下、『ザ・リバティ』2009年7月号「幸福実現党結成!」特集号、幸福実現党公式サイトのプレスリリースpdfという幸福実現党側の資料に加え、一般報道その他の資料をもとにまとめた。敬称略。

2009年9月 3日01:30| 記事内容分類:幸福実現党の研究| by 松永英明
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幸福実現党の研究シリーズ一覧

(1)新型インフル/(2)オバマ守護霊/(3)ノストラダムス/(4)憲法試案/(5)金正日守護霊/(6)主要政策/(7)活動年表/(8)得票数・率/(9)陰謀説/(10)ゆくえ

幸福の科学/幸福実現党 政治関連年表

1989年

  • 7月:大川総裁、官庁にある不要なものを指摘(講演会)

1991年

  • 1月19日:「ノストラダムス戦慄の啓示
  • 2月21日:(社)安全保障懇話会主催「日本の安全保障」講演(グランドヒル市ヶ谷)で、「まあ近いうちに加藤紘一さん総理大臣になられると私思っているんですけど」と発言。
  • 9月:「フライデー事件」(教団では「希望の革命」と呼ぶ)。小川知子、故・景山民夫らが先頭に立って講談社に抗議。

1994年

  • 10月:官僚はマスコミに敗れると予測(講演会)
  • 12月:ヘア・ヌード批判(週刊現代による批判記事に対抗)

1995年

  • 7月:大川総裁、「新生日本の指針」(御生誕祭での講演)にて「私は、幸福の科学の正会員であり、かつて釈迦族の一員でもあった、三塚博氏を、次の総理大臣に推薦いたします。(満場の拍手)みなさまがたの力強いご協力とご支援をお願いします。世紀末、救国のために、幸福の科学政権を打ち立てましょう」と発言。実際には、故・三塚博氏自身は正会員ではなく、妻が月刊誌を購読していただけだった。
  • 8月:幸福の科学出版より、『三塚博総理大臣待望論―智慧と勇気の哲人政治家に世紀末日本を託す』を出版。
  • 9月:建築規制の撤廃を提言(講演会。容積率の緩和を歓迎)

1998年

  • 2月:飛行機のシャトル便を提言(『ザ・リバティ』4月号)
  • 3月:中国人留学生大量受け入れを提言(『ザ・リバティ』5月号)
  • 4月:ゆとり教育批判(講演会)、社会人向け教育資本の整備を提言(『ザ・リバティ』6月号)
  • 5月:企業家育成・規制緩和・ベンチャー減税を提言(『ザ・リバティ』7月号)
  • 6月:高速道路フリーウェイ化提言(『ザ・リバティ』8月号)
  • 9月:自由な企業家精神、企業の育成こそ銀行の使命と指摘(『ザ・リバティ』11月号)

1999年

  • 4月11日:東京都知事選にて、幸福の科学は故・柿沢弘治候補を支持。
  • 4月:「地域振興券」を批判(『ザ・リバティ』6月号)
  • 5月:ヘア・ヌード告知の新聞広告を批判(『ザ・リバティ』7月号)
  • 9月:北朝鮮対策を提言(『ザ・リバティ』11月号)
  • 10月:2000円札発行批判(『ザ・リバティ』12月号)
  • 11月:民間企業と国営事業について提言(『ザ・リバティ』1月号)

2000年

  • 4月:公立学校のグレード別教科書導入を提言(『ザ・リバティ』6月号)
  • 6月:ITバブルへの問題意識を喚起(『ザ・リバティ』8月号)
  • 12月:女性専用車両提言(『ザ・リバティ』2月号)

2001年

  • 2月:ホーム転落防止対策を提案(『ザ・リバティ』4月号)

2003年

  • 1月:自殺防止を提言(『ザ・リバティ』3月号)
  • 4月:SARSの根本解決法を提言(『ザ・リバティ』6月号)
  • 7〜9月:蔓延する人身売買を批判(『ザ・リバティ』9〜11月号)

2005年

  • 10月:NHK民営化を提言(『ザ・リバティ』12月号)
  • 11月:新たな無税国家論を提言(『ザ・リバティ』1月号)

2006年

  • 7月:北朝鮮への多国籍包囲網を提言(『ザ・リバティ』9月号)
  • 9月:中高生の奉仕義務化は「現代の下放政策」と批判(『ザ・リバティ』11月号)

2007年

  • 7月29日:参議院選挙で丸川珠代、中山恭子らを支援。
  • 8月:中国が日本を「属領化」すると警告(『ザ・リバティ』10月号)
  • 10月:沖縄が危ないと警告(『ザ・リバティ』12月号)

2008年

  • 2月:「未来ユートピア政治研究会」設立。
  • 3月:小沢民主党のゴネすぎを指摘(『ザ・リバティ』5月号)
  • 5月:外国人移民受け入れを提言(『ザ・リバティ』7月号)
  • 8月末:「総裁補佐」「副総裁」大川きょう子夫人(文殊菩薩、ナイチンゲール、アフロディーテ)がすべての役職を退く。同時に、教団のホームページから経歴や業績を紹介するコーナーが削除され、幸福の科学出版の著作もすべて撤去。「今日からきょう子氏を『先生』と呼ぶ必要はない」とのお達しもあったという。夫人の出身地で「準聖地」だった秋田県の田沢湖正心館・文殊館の文殊像やナイチンゲール像もすべて撤去された。(幸福の科学に「異変」 教祖夫人を一信者に降格:FACTA online
  • 9月:麻生首相に、解散を急ぐべきではなく、日本がリーダーとして世界の金融危機を救えと助言(法話「成功への道は無限にある」(10月)、「一日一生で生きよ」(11月)で、助言したことが明かされた。「衆議院の解散を急ぐな。日本は外交で頑張り、金融の面で世界のイニシアチブを取るべきである。日本がリーダーになって、世界の経済危機を救うべき」との趣旨)
  • 10月:アメリカの景気後退に対し世界恐慌は起きないと明言(法話「ニューヨークで考えたこと」で「アメリカ経済の底力はまだ強いのです。今回の景気後退は、大恐慌とは全然違うものです」)
  • 11月:オバマ守護霊インタビュー(『ザ・リバティ』1月号)
  • 12月:オバマ悲劇の転生(『ザ・リバティ』2月号)

2009年

  • 3月29日:千葉県知事選挙において無所属・森田健作(自民一部県議支援)が当選。幸福の科学の支援を受けていた。
  • 4月30日:幸福の科学グループ創始者(兼)総裁 大川隆法が法話「幸福実現党宣言」を説く。この内容は単行本『幸福実現党宣言』第一章に収録されている。
  • 5月10日:日比谷公会堂「幸福実現党結党宣言」。饗庭直道党首が挨拶。
  • 5月20日:政治団体「幸福実現党」を設立することを決め、記者会見を行なうと発表。
  • 5月23日:東京都選管を通じ、総務省に政治団体「幸福実現党」の設立を届け出。大川隆法総裁は立候補しないと発表。
    • 党首 饗庭直道
    • 党首補佐 大川きょう子「立宗名誉補佐」
    • 幹事長 佐藤直史
    • 広報本部長 小林早賢
  • 5月25日:幸福実現党立党記者会見をパストラル虎ノ門にて開催。幸福実現党公式サイトを公開。
  • 5月27日:幸福実現党立党大会をホテルパシフィック東京で開催。主要全国紙の朝刊に『幸福実現党宣言』の全面広告。「金田一少年の事件簿」さとうふみやは、麻生太郎首相の福岡8区から立候補し、マンガ対決とされる。この日、森田健作千葉県知事が記者会見で、3月の知事選に際して幸福の科学から支援を受けていたことを認めた。
  • 5月28日:主要全国紙の朝刊に幸福実現党の半面広告。
  • 6月4日:小選挙区280人、比例代表区36人の公認候補を決定。
    • 党首 大川きょう子
    • 幹事長 小林早賢
    • 広報本部長 饗庭直道(比例東京ブロックから東京12区へ変更)
    • 総務会長代理 佐藤直史(東京12区から比例北海道ブロックへ変更)
  • 6月5日:幸福実現党党本部にて記者会見を開催。サイト上の綱領も「憲法9条改正。北朝鮮のミサイルから日本を守ります。/消費税・相続税全廃。あなたの財産を倍増させます。」に変更される。
  • 6月21日:幸福実現党創立者大川隆法『新・日本国憲法試案』を発表。
  • 7月3日:東京都議会議員選挙に10人の候補を擁立。幸福実現党公式サイトの英語版を公開。
  • 7月4日:「北朝鮮のミサイル発射に関する抗議声明」を発表。
  • 7月5日:瀬戸弘幸(前維新政党・新風副代表)ら主催の政治セミナー「『幸福の科学』の政界進出の背景と影響」開催。
  • 7月8日:仙台市長選挙に候補者擁立。
  • 7月12日:東京都議会議員選挙は10人とも落選。→幸福実現党2009東京都議選(得票数・得票率一覧)。
  • 7月22日:大川隆法総裁が「党総裁」に就任。衆議院選挙に幸福実現党の比例代表東京ブロック1位で立候補することを表明。大川総裁は「幸福の科学が本気で勝負に出るという決意表明である」と宣言した。大川きょう子党首は、党首のまま比例代表東京ブロック2位からの出馬。
  • 7月26日:仙台市長選挙も落選。→幸福実現党2009仙台市長選(得票数・得票率)。
  • 7月29日:ドクター・中松を特別代表として招聘。比例東京ブロック2位での擁立を表明。
    • 宣伝局長 大川きょう子(党首の役職は消滅)
  • 7月30日:日本文化チャンネル桜の水島総代表が幸福実現党を批判。
  • 8月2日:産経新聞掲載の「激論・日本の選択」と題した意見広告(全面広告二面分)にて、田母神俊雄・航空幕僚長と大川きょう子党首の対談が掲載される。
  • 8月13日:未明、「衆院選:幸福実現党が全面撤退方針」が決定されたとの報道。これに対し、饗庭直道広報本部長が記者会見。「8月18日の公示日を控え、幸福実現党ではこの数日間、「自民党の大敗と民主党政権の実現を阻止するために、あえて身を引く」という方針を、選択肢の一つとして検討しておりました。」「しかし、党役員ならびに全候補者を含めた党会議を行った結果、現在のところ国難を克服する政策を持ち合わせた政党は幸福実現党以外にはなく、日本の未来を切り開くためにも、現時点では戦いを続行することといたしました。」と発表。「民主党政権の実現を阻止するため、保守勢力と選挙協力できる所には推薦を出し、立候補しない」考えを示した。
  • 8月14日:衆議院選への出馬を決定。北海道11区からの出馬を取りやめ、自民党・中川昭一の応援に回ることを発表。
  • 8月15日:8月13日夜の役員会での決議を発表。大川隆法総裁は党総裁であるが、不出馬。「総裁自身が勝ち負けの世界に入っていくことには問題がある」などの理由による。
    • 党首代行 饗庭直道(比例東京ブロック1位)
    • 田中順子 広報本部長
    • 宣伝局長であった大川きょう子は党役員から下り、不出馬となる。
  • 8月16日:大川隆法総裁は不出馬をとりやめ、比例近畿ブロック1位で出馬することに最終決定。
    • 党首代行 本地川瑞祥(比例東京ブロック1位)
    • 宣伝局長 饗庭直道(比例東京ブロック7位)
  • 8月18日:衆議院議員選挙に337人(小選挙区288人、比例代表区49人)の候補を擁立。総裁は比例近畿ブロック第1位で出馬。
  • 8月30日:衆議院議員選挙も337人全員が落選。

分析

エスノセントリズム/ネオリベラリズム的傾向は20年間一貫しているところだが、ある程度まとまった政策を打ち出すようになったのはごく最近のことのようだ。2008年はじめの未来ユートピア政治研究会設立後、政策研究が行なわれたのだろうか。

提言内容から見ると、2006年ごろからアジア隣国への警戒心を高めている。2007年後半に大川総裁は「中国が日本を属領化すると警告」「沖縄が危ないと警告」しているが、そういえばこのころ、ネットの自称愛国派によって「民主党は中国が日本を属領化するのを認め、沖縄を売り飛ばそうとしている」という主張が一部で執拗に書かれていたのを思い出す。今回の衆院選でも、消費税より北朝鮮の核ミサイル対策が先に主張されるなど、やはり仮想敵国からの国防が意識されており、その危機感が大川総裁の中で高まったがゆえに選挙に打って出たとも思われる。

しかし、よくわからないことが二つある。一つは、総裁の妻である大川きょう子氏の地位の変遷、そしてもう一つは結党後の二転三転する方針である。

大川きょう子氏は1年前の2008年夏、すべての役職を退き、教団のホームページからも削除され、著作もすべて撤去されたという(幸福の科学に「異変」 教祖夫人を一信者に降格:FACTA online)。夫妻の不仲というようなゴシップ的情報も流れていたくらいである。だから、幸福実現党結成時に、饗庭党首・大川きょう子党首補佐という布陣で発表されたことに非常に驚いた。私は下衆の勘繰りで、「大川きょう子派が復権するために政界進出というプランをぶち上げ、それに対して、どうせ失敗することが見えているので、あえて失敗させて完全に再起できないように、大川総裁が政党結成を認めた」というようなストーリーを妄想したりもした(もちろん、これは何の根拠も裏付けもないし、事実とも合わない)。さらに、結党わずか10日で大川きょう子氏が党首となり、饗庭氏が広報本部長に事実上の格下げとなっている。

これについて、文藝春秋8月号での大川隆法インタビューではこのように述べられている。

 ――政党党首にきょう子夫人を選んだ理由は?

 大川 やはり能力と知名度です。

 立党後に党首交代したので家内は二代目党首といわれていますが、ほんとうは三人目の党首なんです。当初は教団内で実力のある別の人間を立てていましたが、選挙を考えるとポスターが大事でね。で、周囲の意見を聞いたら、一般の人にも人気がでるような選挙ポスターの顔に誰がふさわしいかという議論の末に、饗庭(直道)君を2番目の党首にしたんです。ただ、並んだ政党幹部の顔ぶれを見渡すと、彼が教団内の役職で最も格下だった。他は元理事長とか元専務理事と、かつての上司ばかりで、「浮動票狙いの外向けの顔にはいいけれども、内部的にはきついだろう」と。彼の教団内の知名度も一割にも満たないくらい低かった。

 その点、家内は教団内の知名度も一〇〇%だし、記者会見の対応や質疑応答の能力も高かった。ならば大川きょう子を党首にして戦うのが良かろう、と三番目の党首になった。このとき四番目の候補は実は私でした。さすがに弟子たちに「勘弁してください」と引き止められましたがね(笑)。目標議席を獲得するのだって、党首の勇気次第です。饗庭君から家内に交代しただけで、当選者はたぶん三倍以上になりますよ。

爽やか好青年風のルックス&雰囲気が、「饗庭党首」の理由だったようだ。しかも、四番目の党首候補が大川総裁自身で、弟子たちに「勘弁してください」と引きとめられた。弟子たちに自分を担ぎ上げるのはやめてくれ、と言ったのではなく、弟子たちから引き留められたのである。大川総裁自身が出る気満々だったのだ。

女神の言葉(・・だから女神) - 理想国家日本の条件 自立国家日本」という、幸福実現党の選挙運動に参加していたという信者のブログ記事によれば、こんなメールが内部で出回っていたという。大川総裁が最も乗り気で、それに応じて大川きょう子氏も加わることにした、というストーリーが語られている。

支部の方々に向けて、熱い熱いメッセージを語られました。 「党首大川きょう子」としてよりも、同じ信者として、 また総裁の妻としての本音の、目頭を熱くされながらの メッセージだったと思います。

「先生はこの二十年で培ってこられた全て、お金も、人材も、 名声も、健康も、全てを擲って勝負に出られています。」

「これは人類の命運と、教団の存亡をかけた戦いです。」

4月の30日の「幸福実現党宣言」の段階では、きょう子先生も、 教団の幹部も、「いくらなんでもこれはバクチだ」という 反応だったそうです。 「いったいいつもの慎重な先生はどうされたのか」と。

しかし、総裁先生のマグマのような情熱を肌身に感じ、 もはやそれが止めるべくもないことを悟り、

「ここで私自身も立たなければ、あの世に還った時に、 この人の妻であったことが証明出来ない」と、 きょう子先生自身も静かな宗教生活を捨てることを 覚悟され、「幸福実現党党首大川きょう子」として 世に立つ決意を固められたそうです。 まさにこれが「党首の決断」の舞台裏だと言うことです。

教団幹部として、また妻として、肌身に感じた 総裁先生の情熱のほどを、 「この選挙で燃え尽き、死んでもかまわない」と、 きょう子先生は表現されていました。

文字通り、不借身命、総裁先生はこの選挙に全てを 賭けておられるという厳粛なる事実を、まるであたかも 初めてであるかのように、信者一同おののきながら受け止めました。

確かなことは、 「もしも、ここで私たちが先生を支えられなければ、私たちは 直弟子としてかつてない後悔、永遠の後悔を残すことになる。」 ということです。

「だから、立ち上がってください。」

「出来る限り、全ての人に、一人一人友人や家族、 身の回りの全ての人に、呼び掛けてください。」

「信仰告白よりはずっと簡単です。」

「全ての人が、誰一人、あの世に行って後悔しないように、 呼び掛けてください。」

「あなた方それぞれのベストを尽くしてください。」

こんなに熱いきょう子先生は、ドームでの「あなた方は 仏陀を見たではないですか」以来だったのではないでしょうか。

質疑応答も行われ、私たちと対等に「みなさんはいかがですか」 「どう思われますか」「活動の状況、反応などはいかがですか」など、 私たちと一緒になって道を模索されているお姿が印象的でした。

これが美の女神か、と思いました。 美の女神にして、これなのだ、というべきでしょうか?

圧倒的な輝きと、優しさと、そして空く無き探求心、情熱こそが、 美の女神の本質なんだ、と思いました。

(大川きょう子氏はアフロディーテすなわち美の女神と規定されている)

そして、大川隆法総裁自身が、都議選の惨敗の10日後の7月22日、「党総裁」に就任し、出馬することを決定した。大川総裁は「幸福の科学が本気で勝負に出るという決意表明である」と宣言した。教祖自らが選挙の先陣を切って戦うことになったのだ。

教祖自らが出馬することについては、項を改めて考察することにする。ここではその後の経緯を見ていこう。

7月29日、ドクター・中松を特別代表として招聘。「われわれの政策に共鳴してくれる政治家や政党があれば、吸収合併していくということです」(文藝春秋インタビュー)を実践したのだろうか。また、田母神元航空幕僚長との対談を産経新聞二面を使って掲載している。「確かな右翼民族派政党」としての幸福実現党の面目躍如である。それでも、最も政策的に近いはずのチャンネル桜からカルト呼ばわりされてしまったのは、大きなマイナスだっただろう。

それはともかく、公示直前になって最後の混乱があった。数日間、そもそも衆院選に出馬するかしないかという根本的なレベルでの議論があったことを、幸福実現党自身が認めている。民主政権を阻止するために、自民党の支援に回るべきではないか、と。その混乱は外部にも漏れ、8月13日未明には出馬撤回方針が報じられた。ところが、同日、記者会見にて、全面撤退はしないことが発表される。14日には、一部の小選挙区で自民党議員を支援するために出馬を取りやめる以外、やはり最初の方針どおりに出馬することを発表した。

ところが、13日夜の役員会で、またひっくり返す決定がなされていた。それが発表されたのは15日だが、大川総裁自身は出馬しないことになったのである。「これから始まる他党との選挙協力を考えると、総裁は大所高所から党を指導するほうがよいこと、また、他党の候補者の中には幸福の科学の信者もおり、総裁自身が勝ち負けの世界に入っていくことには問題があることなどから、不出馬の判断となりました」という。同時に、饗庭党首代行、田中順子広報本部長となっただけでなく、大川きょう子宣伝局長が党役員から下り、不出馬となったのである。

この決定は、大川総裁ときょう子夫人がともに、政治から距離を置くという判断を行なったといえる。後の分析で述べるように、宗教政党に教祖またはそれに準ずる者が直接出ることは、非常にデメリットが大きい。この時点での判断は間違いではなかったろう。

しかし、翌16日、どんでん返しに次ぐどんでん返しがあった。大川隆法総裁は不出馬をとりやめ、比例近畿ブロック1位で出馬することに最終決定したのである。しかもそれに伴って、饗庭党首代行は再び宣伝局長になり、比例東京ブロックの名簿7位に落とされた。

今回の総選挙にあたって、饗庭氏ほど浮沈の激しかった人は、幸福実現党だけではなく、どの政党を見てもなかっただろう。ただ、饗庭氏は、大川隆法総裁または大川きょう子氏が上に立たないときには世間受けがいいということで担ぎ上げられ、両氏のどちらかが前面に出るときには必要とされていないかのように扱われている。

そして、常に幸福実現党の中心にあり、党首まで経験しながら、党の役職から外れ、結局出馬さえもしなかった大川きょう子氏。

私は、幸福実現党の設立ごろからサイトをチェックしていた。そして、衆議院選の立候補者名簿をチェックし始めたのだったが、ほぼ毎日そのpdfファイルが変更されていくので、数日で細かいチェックをすることを断念した。まさかここまで党首が二転三転し、立候補するしないが直前まで錯綜し続けるとは思わなかった。

幸福実現党は、少なくとも選挙戦略については、長期的な視点での計画を有していなかったと結論づけることができる。それは、政党としての長期計画についても同様であろうと思われるのである。

幸福実現党の研究シリーズ一覧

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2009年9月 3日01:30| 記事内容分類:幸福実現党の研究| by 松永英明
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