幸福実現党の研究(10)幸福実現党/幸福の科学のゆくえ

幸福実現党結成から衆院選出馬し、全員落選したという結果が出た今の時期における「幸福実現党の研究」は、今回の記事でひとまず締めくくることとする。

二転三転の末、教祖である「国師」大川隆法総裁自らが出馬し、そして、落選した。この事実は非常に大きい。再臨の仏陀であり、エル・カンターレである大川隆法氏に投票せず、その正法に賛同しなかった日本国民を、幸福の科学がどう解釈するか……。

2009年8月16日。二転三転した大川隆法総裁自身の出馬に関して、最終的に「出馬」を確定した日である。これは「幸福の科学」の歴史において、大きなターニングポイントとして記憶されるべき日付となるだろう。

2009年9月10日20:29| 記事内容分類:幸福実現党の研究| by 松永英明
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大川隆法総裁の政見放送

教祖立候補のデメリット

宗教団体と政治の関わりには、大きく分けて以下のパターンが考えられる。

  1. 宗教団体として政治には関わらない。
  2. 信者の票をとりまとめて政党・政治家を支援するが、独自政党は作らない。立正佼成会、真如苑、霊友会、統一協会、神社本庁、世界救世教、PL教団など。
  3. 宗教団体を母体とする政党を結成するが、教祖・教団は政党には直接関わらない。1970年以降の公明党。
  4. 教祖自身が政党を率いる。真理党、幸福実現党。

客観的に、純粋に戦略的な観点から言うならば、宗教政党から教祖が直接立候補すると、大きな問題が生じる。

そもそも、宗教は正しい・間違っている、あるいは大川隆法総裁も言うように真理か否かを基準に考えるものである。その正邪の基準は、幸福の科学流に言えば「仏法真理」など、絶対的な法則や「神の意思」にあり、世間の基準とは必ずしも一致しない。しかし、選挙は国民の「世論」あるいは「人気」に左右される。だから、必ずしも「正しい政策」だから勝てるとは限らない。

しかし、一方で、神や真理や仏法の力があれば、勝利して当然だろう(勝利すれば「正法の勝利」と宣伝するはずである)。ここに矛盾が生じる。

もし、公明党のように創価学会は単に支持母体であって直接関係ない、ということになっていれば(パターン3)、公明党が惨敗しても池田大作氏に責任は生じない。選挙戦略が悪いのか、時期が悪いのか、とにかく創価学会の教義や池田大作名誉会長のせいではない。「落ちるということは、信心が足らんということなんですか?」(©ざこば師匠)というのが仮に正しいとしても、それは信者一人一人がもっと信心すべきだというだけの話であって、宗教性や教団や教義や名誉会長に傷はつかない。

宗教団体の運営という極めて世俗的・実務的観点からいえば、仮に政治に関わるとしても、立正佼成会や生長の家や真如苑や統一協会のように、信者の票をとりまとめて、どこかの政党や候補者を支援するのが「よい方法」といえる(パターン2)。これなら、たとえ負けても傷はつかないし、勝ったならば支援した候補・政党に自分たちの要求を出すことができる。実際、幸福の科学はこれまでそうしてきた。森田健作千葉県知事らを支援したように。

しかし、幸福実現党は教祖自ら出馬し、勝利を予言し、そして一人も当選しないという惨敗を喫した。再臨の仏陀であり、エル・カンターレである大川隆法氏率いる幸福実現党が、唯一神又吉イエスよりは得票したとはいえ、一議席も取れないどころか、ほとんどすべての選挙区で最下位落選なのである。

いや、大川隆法総裁が出馬していなければ、まだよかった。いくらでも言い訳ができた。饗庭元党首を左遷し、再び全国の教団施設から文殊・アフロディーテ・ナイチンゲールを撤去するだけで済んだだろう。

しかし、再臨の仏陀、エル・カンターレ大川隆法総裁自身が落選したのである。これは、極めて危険なことである。

想定されるシナリオの一つは、国師・大川隆法総裁の力を疑うようになり、教団から信者が離れていくというものである。だが、それで教団が崩壊するようなことはあるまい。おそらく、それで教団を離れる信者は比較的少数にとどまるだろう。多くの信者は、この「認知的不協和」を、国師・大川総裁の力不足ではなく、別の理由があったからだと考えるはずである。

それは二つの方向性が考えられよう。信者の努力が足りなかったか、もしくは、大川総裁・幸福実現党に投票しなかった国民が悪いのだ。この第2の理由に走るとき、幸福の科学は反社会的存在と変貌していくことになる。

宗教と政治の矛盾点

ここで宗教と政治の関係について触れておかねばなるまい。

文藝春秋八月号記事で宗教学者島田裕巳氏は「基本的に、宗教に関心の高い一般信者は、政治への関心が薄いもの。宗教団体トップの政治的主張が強くなりすぎると、一般信者との間で心理的乖離が生じかねません」と指摘する。確かに、政治は俗世間に関わるものであり、政治活動(外向きの活動)は宗教活動(内心の活動)と矛盾する側面がある。

それは、すでに引用した大川きょう子氏のメッセージからもうかがわれる。(女神の言葉(・・だから女神) - 理想国家日本の条件 自立国家日本より)

「先生はこの二十年で培ってこられた全て、お金も、人材も、 名声も、健康も、全てを擲って勝負に出られています。」

「これは人類の命運と、教団の存亡をかけた戦いです。」

4月の30日の「幸福実現党宣言」の段階では、きょう子先生も、 教団の幹部も、「いくらなんでもこれはバクチだ」という 反応だったそうです。 「いったいいつもの慎重な先生はどうされたのか」と。

しかし、総裁先生のマグマのような情熱を肌身に感じ、 もはやそれが止めるべくもないことを悟り、

「ここで私自身も立たなければ、あの世に還った時に、 この人の妻であったことが証明出来ない」と、 きょう子先生自身も静かな宗教生活を捨てることを 覚悟され、「幸福実現党党首大川きょう子」として 世に立つ決意を固められたそうです。 まさにこれが「党首の決断」の舞台裏だと言うことです。

「静かな宗教生活を捨てることを覚悟され」たというのだから、内心に向かう宗教的方向性と、社会改革という外面に向かう政治的方向性が矛盾する、と認識されていることがわかる。あくまでも心の問題のために入信し、政治に出るという矛盾に耐えられない信者にとっては、これはゆゆしき問題となろう。

さらに言えば、新自由主義・エスノセントリズム的な幸福実現党の政策は、格差を認め、弱者を甘えであると切り捨て(「大きな政府は、福祉や税金という名目で、額に汗して働いているあなた方の財布からお金を抜き取って、働かない人たちにばらまいてしまう」という趣旨の選挙演説動画を見た)、そして隣国への敵対心を隠さない。それは、大川氏個人に心酔している信者ならともかく、大川氏の「愛の教え」(当ブログコメント欄で使われた用語より)といった教義面に共感している信者にとって、非常に矛盾したものとなっていく可能性がある。

理想郷建設に向かうとき、宗教と政治進出は矛盾しない

しかし、である。そのように考える信者は、さほど多くないはずである。この程度のことで信仰が揺らぐのは、幸福の科学の教義にあまり染まっていない、非活動信徒が中心だろう。

そもそも、宗教と「世直し」志向は非常に密接に結びついている。特にキリスト教系では「至福千年王国運動」との結びつきが深い(西洋社会での千年王国運動については、ノーマン・コーン著『千年王国の追求』に詳しい。松岡正剛の千夜千冊『千年王国の追求』ノーマン・コーン参照)。この世界が正しくない世界であるから、正しい教えに基づく正しい幸福な社会を作ろう――という考え方は、歴史的にも決して特異なものではなかった。

同書についての松岡氏のまとめによれば、以下のような例が挙げられる。

 本書で扱っている中世千年王国運動は夥しい。モンタヌスやアッシジのフランチェスコもその嚆矢である。
 なかでも、フィオーレのヨアキムの終末論、ペスト流行とともに高まった鞭打ち苦行運動、パリ大学のベスのアモリの提唱で動きはじめたアモリ派、カタリ派やワルド派などの異端運動、ペギン派異端の自由心霊派兄弟団の活動、ハインリッヒ・ゾイゼの思想、ジョン・ポールの考え方、さらにはヨハネス・フスやトマス・ミュンツァーの農民革命を掲げた黙示録的な「神の国」の構想などは特筆すべきものだった。
 これらの「負の歴史」があったからこそ、ヨーロッパのキリスト教社会は宗教革命を迎えられたといってよいのだが、ここではかつてぼくが関心をよせた二つの動向だけについて、ふれておく。タボル派とランターズの動向だ。

タボル派の戦いについては、スメタナの交響詩「わが祖国」の第5曲「ターボル」でも描かれている(ちなみに「わが祖国」の第2曲「ヴルタヴァ」が、いわゆる「モルダウ」である)。

この「千年王国運動」すなわち宗教的理想郷建設運動は、決してキリスト教系にとどまるものではない。東洋でも多くの宗教理想国家建設運動があった。太平天国はキリスト教系だが、仏教などにも存在する。特に弥勒下生思想(未来に仏陀となる弥勒菩薩が地上に現われて理想郷を打ち立てる)は大きなうねりとなった。中国最大の弥勒下生教団が白蓮教である。元代の末には大反乱を起こし、これが紅巾の乱となった。この白蓮教徒から出て、元を滅ぼし、明を打ち立てたのが、太祖・朱元璋である(ただし、建国後は白蓮教を弾圧している)。

日本で「弥勒の世」を願い、政治に関わろうとして事件となった教団が二つある。一つは皇道派軍人と結びついた戦前の大本教である(地上天国「みろくの世」というワードも使われた)。そして、もう一つが、未来仏マイトレーヤ(=弥勒)の化身とされた麻原彰晃率いるオウム真理教であった。弥勒信仰との関係でいえば、麻原は、前世の一つが朱元璋であったとも述べているし、大本教の「みろくの世」「松の世」とは松本智津夫=未来仏マイトレーヤによる理想社会だと解釈していた。

というわけで、ここで、オウム真理教/真理党の流れを振り返るとしよう。

オウム真理教・真理党の悪夢再び?

幸福の科学の「ユートピア建設」と同様、オウム真理教の「日本シャンバラ化計画」「ロータス・ヴィレッジ構想」では、これを実現することが全人類の救済につながると信じられた。シャンバラとはチベットの理想郷、真理にのっとった学校や病院を作ろうとしたのだ。しかし、行政からはなかなか学校や病院の許可が下りない。それなら、自ら政治に出るしかない――。こうして「選挙」という手段が採用された、と説明されていた。

ちなみに、真理党の政策は「消費税廃止」「医療改革」「教育改革」「福祉推進」「国民投票制度導入構想」であった。幸福実現党とは「消費税廃止」と「国民投票」が似ているが、基本的に政策の方向性としては反対だった。麻原自身が1995年に、自らの政策・理念は社会党に近いと述べている。確かに、もともとオウム真理教の出家は仏教型原始共産主義ともいえる完全平等配分・私有財産ゼロの社会である。また、「福祉推進」という点で、福祉へのばらまきを毛嫌いする幸福実現党とは正反対であることは指摘せねばなるまい(ネット検索すると、真理党がネオリベ政党だったと発言している人がいるようだが、正反対の誤りである)。

しかし、真理党は、教祖自らが出馬した衆議院選挙で、一議席も取れなかった。そこで生まれたのが「票を入れ替えられた」という陰謀論だった。本当はもっと支持されていたのに、それを陰謀によって阻止された――と考えた。その考え方に反論を述べる弟子もいたが(元オウム教団幹部 野田成人のブログ あの衆院選)、彼らもやがて口をつぐみ、選挙のことについては口にしないようになっていった(決して、間違っていると主張し続けたり、あるいは教団から離れたりしたわけではなかった)。

そして、教団は合法的な手段だけで社会改革を進めることを断念し、これまでどおりの宗教活動の裏で、ヴァジラヤーナ的非合法活動にも関わっていくこととなる。教団には、日本という国の枠内で活動するという考えが薄れていき、独立国であるかのような行動が取られるようになっていった。そこに、住民票問題によって日本国民と認めてもらえないという排斥感も加わり、さらに独自の道を歩むこととなる。

やがて、教団内では、「フリーメーソン・イルミナティに牛耳られたアメリカ」を敵視し、その手先として教団を攻撃しているとされた米軍・公安を敵視するようになる。その結果、95年の地下鉄サリン事件に至ったと考えられる。この流れの中で、以前の選挙の時に「選管の陰謀ではない。事実を見るべきだ」と反論した弟子自身が、その後も高弟として教団を導き、その裏で炭疽菌を撒くに至るのである。

ここで私が指摘したいのは、教祖自身が出馬した選挙での敗北によって、「民主的・合法的な選挙に期待できない」という思考に陥る危険性である。それは、この国の法が正しい法・真理とは食い違うものであり、国民は正しい法にのっとって正しい選択を行えない、と判断することである。そうなると、日本人を本当の意味で救済するためには、今の日本の仕組みを根本的に改める必要がある。そのために、合法的な手段では不可能となったら?

幸福実現党とオウム真理教

幸福実現党がこの危険な思考回路にすでにはまっていることは、前回の記事ですでに指摘した。幸福実現党は、敗因を正確に分析することなく、「大量出馬しているのに、マスコミが幸福実現党ではなく諸派と報道したから」「選管が投票所で候補者名に幸福実現党と書いてくれないから」、そしてマスコミは北朝鮮に支配されているから、等々の陰謀論をすでに表明している。さらに、北朝鮮を仮想敵国とし、核基地先制攻撃を主張する幸福実現党は、アメリカを仮想敵国とし、地下都市・水中都市による対米戦争サバイバルを主張したオウム真理教よりも、主張においては攻撃的なのである。

専守防衛を説いていたオウム真理教は、大半の信徒・サマナに対しては「毒ガス攻撃を受けている」と説明していた。オウム真理教「防衛省」は軍事組織ではなく、毒ガス攻撃から身を守るための「コスモクリーナー(空気清浄機)」のメンテナンス係であった。ところが、その裏で選ばれたメンバーによって毒ガスを自ら作っていたのである。それよりも過激に、専守防衛ではなく「北朝鮮からの核ミサイル攻撃が迫っているから、先制攻撃が必要だ」と説く幸福の科学は、果たして大丈夫なのだろうか。

幸福の科学は、オウム真理教と大きく違うところがある。それは事実である。たとえば、出家制度の有無は、社会との乖離度に大きな差をもたらしているだろう。何もかも出家者の自作、自給自足を確立しようとしていたオウムに対して、外注をいとわない幸福の科学(オウムのアニメはすべて出家者が作っていたが、幸福の科学のアニメ映画は有名声優らを多数雇って外注である)。それは、外界との距離の差としてあらわれるだろう。

また、学校を認められなかったオウム真理教と違って、幸福の科学は2010年4月に栃木県那須に「幸福の科学学園中学校・高等学校」を設立する予定である(栃木県から学校設置に係わる事業承認済み)。幸福の科学によるロータス・ヴィレッジ構想、いや「ユートピア建設」は、社会に阻まれることなく、一歩進んでいるといえる。

しかし、大川隆法総裁は「ユートピア創りの戦いは、まだ始まったばかりである。しかし、この戦いに終わりはない。果てしない未来へ、はるかなる無限遠点を目指して、私たちの戦いは続いていくだろう」と述べている(2009年6月30日 幸福実現党宣言)。幸福の科学が地上ユートピア建設(すなわち千年王国運動と共通する、宗教的理想を実現する理想郷の建設理念)を有していることは間違いないことだ。

宗教的理想を実現した理想郷を打ち立てる。それは、現在の社会を必然的に否定する(その否定の仕方や、否定する内容などは教団ごとに異なるが、もし仮に俗世や社会を肯定するなら、いちいちユートピアを建設する必要などない)。

幸福実現党は、この選挙を「人類の命運と、教団の存亡をかけた戦い」と言い切った。教団はともかく、人類の命運がかかっているのである。これに失敗したら、今生での衆生救済は失敗してしまうのである。

中国・北朝鮮を敵視し、在日を敵視し、マスコミを敵視する幸福実現党。ユートピア創りの戦いを続けなければならないと述べる大川総裁。いくら政策が正反対で教義が正反対だとしても、そこに秘められた「理想郷建設のための戦い」という方向性については、幸福の科学とオウム真理教で異なるところがないといわざるを得ないのである。

総括の分析

さて、総選挙の結果の総括について、幸福実現党はこのように表明している。

2009年8月31日

幸福実現党

総選挙の結果を受けて

2009年衆議院議員選挙においては、当選者を出す結果には至りませんでした。私どもの政策に賛同して下さり、この暑い夏を共に走り続けて下さった支援者の皆様にお詫び申し上げるとともに、国民の皆様から頂いた多くのご支援に、心よりの感謝と御礼を申し上げます。

立党してより約3ヶ月、国防や経済問題等、日本が直面する内憂外患の危機を回避し、これからの日本に必要な未来ビジョンを示すべく、私たちは戦って参りました。

今回、小選挙区で107万票の得票を頂くことになりました。しかしながら、当選者を出すにいたらなかったことは、立候補者名、党名の定着・浸透が不十分で、政権交代選挙の前では通用しなかったためと真摯に受け止めたいと考えます。また、選挙区によっては、母体である幸福の科学の信者数にもはるかに届かない得票数もあり、信者の信仰と政治選択に分離があるものと思われました。

根本的には、本党の主張した正論が国民に十分には理解されなかったものと思われますが、国難への警鐘を鳴らしたという点で、宗教政党としての重要な使命は果たしえたと思っております。また、この選挙戦を通じて、既存政党に替わる"新しい選択"としての「幸福実現党」への国民の皆様のご期待を肌で強く感じることができました。

今後、慎重に検討を重ね、次回参院選に挑戦する折には、適性ある候補者を選び、事前の政治活動を充実させていきたいと考えます。今後とも皆様のご支援、ご指導をよろしくお願い申し上げます。

2009年8月31日

幸福実現党

幹事長 小林早賢

非常に丁寧な総括である。特に前半は問題ないと思う。

ただし、すでに分析したとおり「今回、小選挙区で107万票の得票を頂くことになりました」とだけ述べて、比例代表の票数を言わないのがずるいところである。

「また、選挙区によっては、母体である幸福の科学の信者数にもはるかに届かない得票数もあり、信者の信仰と政治選択に分離があるものと思われました」についてもすでに分析した。信者数をそこまで低く見られたくないのか、ということは指摘したとおりであり、おそらく幸福実現党の党員と呼べる人数は2万3000人前後であろうという推測も行なった(信者以外にあまり得票できていないのではないか、という意見もあったが、少なくとも全国でならした場合の比例代表46万より少ないことは間違いないだろう)。

さて、まだ検証していない部分を見てみたい。

「しかしながら、当選者を出すにいたらなかったことは、立候補者名、党名の定着・浸透が不十分で、政権交代選挙の前では通用しなかったためと真摯に受け止めたいと考えます」

要するに知名度を高めることができなかった、という分析である。まあ、あれだけコロコロと選挙区を入れ替えていたら、立候補者名(個人名)はなかなか浸透しないだろう。だが、「幸福実現党」という党名はニュースにもなっていたし、結構知られていたのではないか。おそらく、幸福実現党という名前を聞いたこともないという日本人は、おそらく少ない。

それより、政権交代選挙で自民・民主に問われたのは何か、という分析がまったく行なわれていない。自民は「現状を生み出したのは自民ではないのか」と問いかけられ、民主は「政権担当能力があるのか」「マニフェストは画餅ではないのか」と問いかけられていた。それに対して、「とりあえず自民が駄目なのはわかってるから、ほかのところに一回試させようぜ。となれば、今のところ民主かね」というのが大筋の流れだったように思われる。その中で、「国難」だの「正論」だの、そういう「議題でないこと」を一生懸命叫んでいても、「なんか純粋まっすぐ愛国君が語ってるね」と思われるだけだ。幸福実現党には日本の政治を支える能力があるのか、あるいはこの議員を選べば凋落する自民の代わりになるか、信頼しきれない民主より信頼があるのか、ということを打ち出せもしないで、選挙に勝てるはずがない。

自民でも民主でもない第三の選択を幸福実現党は訴えていたが、その立ち位置は「みんなの党」あたりが上手に獲得していったように思われる。単に「二者択一じゃなくて、うちもありますよ」と言われたところで、その政策が魅力的でなければ、またその政策が関心のあるテーマでなければ、また責任をもってそれを遂行できる信頼感がなければ、決して支持を得られないだろう(民主党でさえも政権担当能力が疑問視されていたのだ)。あるいは、政策そのものを見直す必要だってあるだろう。

そういう点についての反省がなく、ただ「知名度を浸透させられなかった」という分析で終わるとしたら、幸福実現党に未来はまったくない。それでは、今までの選挙で嫌われていた「名前の連呼」を一生懸命やるのか、というような話にもなりかねない。

宗教政党として、確かに政策などを見直すことは難しいかもしれない。だから「根本的には、本党の主張した正論が国民に十分には理解されなかったものと思われますが」という言葉が飛び出すのだろう。(正法に基づき、大川隆法総裁によって示された)「正論」は、あくまでも「正しい」。「国民に十分には理解されなかった」という表現は傲慢そのものである。せめて「わが党が正しいと信ずる政策を国民の皆さまにご理解いただくに至らなかったことはひとえにわが党の努力不足でありますが」とでも書いておけば無難であろうものを、「正論なのに、国民は理解しなかった」と非難じみた表現になっている。

そこが危険だ、というのは上述したとおりである。理解しない国民は、信者にとって「悪」とみなされるようになっていく。

たとえ「正論」「正法」であっても、物事には言い方があるし、あるいは提示するタイミングというものもある。それは「方便」をさんざん駆使してきた仏陀・大川隆法総裁はよくご存じのはずだろう。では、今回、幸福実現党の正論を伝えるための「方便」は適切であったか。

今、特に北朝鮮の核の脅威について国民の多くが関心を寄せていないこの時期に、幸福実現党は、最重点政策の筆頭で「北朝鮮の核を先制攻撃」と主張した。ポイントがずれている。「いや、今そういう話、してないから」と言われるのがオチだとわからないのだろうか。

「自民党政権で貧乏に、民主党政権で日本は中国領になりますよ。それがいやなら幸福実現党に」と主張する極端な単純化が、「責任力」や「政権交代」に比べて幼稚に見えると気づかないのだろうか。

福祉による再分配を「額に汗水流して働いているあなたの財布から奪ってばらまくことだ」というような乱暴な議論が、信頼を失わせていることに気づかないのだろうか。

いや、これらはすべて(彼らにとって)「正論」なのである。だから、理解せず、納得せず、賛同しない方が悪いのである。「正論」という言葉を持ち出すとき、人は思考停止に陥る。そして、絶対の正しさを振りかざすことによって、賛同しない者をバカにし、非難する対象と認識するようになるのである。

幸福実現党の参院選の総括に、「正論」そのものの内容、あるいは「正論」の打ち出し方、伝え方において何か間違いがあったかもしれないという反省がまったく見られず、ただ「知名度」の問題としているところに、大きな勘違いがある。

分析が間違っていれば、対策も間違いとなる。「今後、慎重に検討を重ね、次回参院選に挑戦する折には、適性ある候補者を選び、事前の政治活動を充実させていきたいと考えます」――たぶん、今回のように直前になってコロコロと選挙区を入れ替えたりするのはやめる、ということだろう。きちんとその選挙区に合った適材を適所から立候補させると言うことなのだろう。そして、事前の政治活動によって知名度を上げよう、そうすれば通る、と思っているようである。

まったくもって根本的にわかっていない。そして、ここで決して言ってはならないことを言っている。

「適性ある候補者を選び」。大川隆法総裁は、適性がなかったのか。それだけは言ってはならないことであろう。

知名度だけで言っても問題である。大川総裁やドクター・中松やさとうふみやは知名度がなかったというのか。そんなことはない。幸福実現党は知名度が低かったのか。そんなことはない。

小選挙区で不利な戦いとなったのは、投票所で候補者名に添えて幸福実現党と書かれていなかったから? ならば問おう。「幸福実現党」と書く比例代表の投票総数が、小選挙区より低かったのはなぜだ? 党名が書かれていないから得票数が減ったのではない。むしろ、党名がない方が得票数が多かった。党名がむしろマイナス? というのは酷なので、少なくとも党名がなくても差し障りはなかったことを指摘するにとどめておこう。

そうなると、知名度の問題ではない。この人の政策に期待する、この人を政界に送り込めば私の生活はよくなる、と有権者に思わせることができなかったことが問題なのである。知名度ではなく、「政治家としての信頼度・期待度・共感度」が低かったのである。簡単に言えば(ごく当然のことなのだが)「政治家としての適性」に欠けると審判されたのである。

たとえ、いくら正論であろうとも、それが相手に伝わらなければ、それは失敗である。では、幸福実現党の演説は、果たして「支持率を高める」ような内容になっていただろうか。そうではあるまい。

そもそも、なぜ他党を罵倒するような物言いを続けたのか。自民党の民主党に対するネガキャンパンフレットさえも、自民の末期のあがきと受け取られたのだ。なぜ、麻生を始めとする自民党候補者をバカにし、鳩山を宇宙人だの売国だのと言ったりしたのか。守護霊メソッドという、第三者が眉をひそめるような嫌らしいもの言いを、なぜ選挙に持ち込んだのか。

そして、この疲弊した日本人の中にあって、「福祉ばらまき」をバカにしてみせた。いつ自分が「ばらまかれる側」に陥るかわからないという不安を多くの人が潜在的に抱えている平成21年の日本で、勝者の立場に立ち、生存競争に勝つことを前提とした政策を打ち出し、福祉を受けることを否定してみせた。自民党さえも小泉型弱肉強食の競争社会を否定しつつあった状況を読めず、新自由主義の小さな政府を訴えてみせた。それは、「理念を貫いた」のかもしれないが、時代の空気をまったく読めていないことを如実に示している。

幸福実現党の政策は、バブル期であれば受け入れられたかもしれない。しかし、失われた十年を経、さらに小泉自民党による格差社会の出現によって、日本人は今疲弊しているのだ。その状況を読めないなら、霊人たちが何を言おうとも、エル・カンターレである再臨の仏陀は、政治ではなく宗教の世界に専念すべきではなかったか。

せめて「今はまだ、幸福実現党の理念が受け入れられる時代ではなかった」と言い訳するなら救いようがあるのだが……。

幸福実現党は「次回参院選に挑戦する折には」と述べている。つまり、来年の参院選にも候補者を送り出すという。しかし、あえて断言しよう。以上のような「名前を浸透できなかった」というような浅薄な分析しかできないのであれば、次回も、あるいはそれ以降も、いくら街頭で声を枯らして叫ぼうとも、一人として幸福実現党から議員が生まれることはなく、幸福実現党という政治団体が政党要件を満たす政党になることもないだろう。それが、永遠の法である。

その点を考えれば、公明党は実に選挙戦略がうまいことに気づく。「皆さんの要望を実現するのは公明党ですよ」という戦略である。その要望実現がよいか悪いかは別にして(私は気に入らないので投票しない)、あくまで「困っている人を助ける政党」という印象を与えようとしている。もちろん、創価学会嫌いの多くの人たちにとっては、公明党というだけで敬遠対象になってしまうが、うっかり公明党支持者から選挙前の「投票お願い電話」でも受けようものなら、一応内容を検討してみようという気になるから困る。「開かずの踏切を改善したのは公明党なんですよ」「タミフルを用意させたのは公明党なんですよ」と(過剰宣伝ながらも)身近なポイントを突いてくる(これは都議選の時に実際に公明党支持者から受けた電話の内容である)。

この意味でも、幸福実現党は公明党の敵ではなかったといえよう。

そして参院選へ

結党から衆院選までの短い期間にも、党首・党役員が何度も入れ替わり、そして総裁が出馬する、しないと二転三転した幸福実現党であるから、来年の参院選に出馬するまでに、いろいろと変転があるだろう。

選挙後には、このような発表があった。

9月2日(水)朝、幸福実現党・本地川瑞祥党首代行は、この度の衆院選挙で当選者を出すことができなかった責任を取り辞任いたしました。

これに伴い、同日午前中の役員会において後任選出の選挙が行われ、本地川瑞祥が改めて選出されました。

その後、今後の党運営の責務を全うすべく、党首に就任することが決議され、即時就任いたしました。

党首代行が「責任を取って」辞任して、再選され、さらに党首に就任。私自身は「辞任」が本当に責任を取ったことになるのか疑問に思うタイプの人間だが(むしろ後始末をしてから後任に譲るべきだと思う)、「責任を取って」辞任したのに、党首に「昇格」しているのは、もはや理解の範疇を越えている。

いずれにせよ、幸福実現党が来年の参院選(あるいはそれまでの地方選)に本当に候補を立てるか否か、あるいは参院選にも大川総裁が出馬するか否かについては、まったくわからない。

ただ、あくまでも選挙という方法を模索し続け、支持されるように政策とその表現を見直し続け、支持を求めてじっくりと訴え続け、選挙に敗れても敗れても「いやあ、まだまだ私たち信者の光明思念が足りませんね」とニコニコしているのであれば、それはそれで信教・信仰・思想・言論・表現・出版の自由の範囲だと思う(幸福実現党の憲法案では、これらの自由は否定されているのだが、現在享受している自由を否定する自由も私は認める。ただし、そんな主張に絶対に賛同はしないが)。

しかし、選挙という手段を諦めたとき、大川総裁の総括内容によっては、非常に危険なものとなりうる。今までのやり方について「反省」することなく、守護霊メソッドを使い続け、中国・北朝鮮・マスコミの陰謀を語り続けるようであれば、幸福の科学・幸福実現党は、公安マターとしての視点で注視する必要があると思われる。

「幸福の科学・幸福実現党は、オウム真理教・真理党とは違う」と彼らは言う。確かに、違いは多いことはすでに見てきたとおりだ。しかし、今の流れでは共通点が非常に目立ち、しかもその共通点にこそ危険性が潜んでいることも、上述したとおりである。彼らが「違う」というのであれば、それは言動によって示す以外にないだろう。

ひとまず、締め

幸福実現党結成から、衆議院議員選挙までの期間に関する幸福実現党の研究は、ひとまずこれで締めくくることとする。今後、大きな動きがあればまた「研究」することとなろう。手元には「さとうふみや氏が描いた幸福の科学マンガ」なども入手してあるが、今回はこれにてシメとする。

今回、私は極力、「レッテル貼りによるネガキャン」にならないよう努力したつもりである。そのため、実際に幸福実現党あるいは大川隆法総裁が述べていること、幸福実現党の行なっていることをもとに検証した。決して「幸福の科学はカルトであり、幸福実現党はカルト政党である。だから悪だ」みたいな浅薄な「悪口」に陥らないように努めた。

その上で、幸福実現党のエスノセントリックかつネオリベラリズム的政策には賛同できないと思い、また「敗戦」後の陰謀論などの流れが非常に危険であると考えた。真理党との類似点については、違うところもきちんと示しながら、全体として共通の危険性を有するという結論に至った。

私の指摘した危険性が、すべて「杞憂」に終わることを祈る。

幸福実現党の研究シリーズ一覧

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2009年9月10日20:29| 記事内容分類:幸福実現党の研究| by 松永英明
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大川総裁による選挙総括や今後の方針は既に何回かにわかって、講義が行われています。例えば、下記にはごく最近、海外の会員に向けて英語で行われた説法の、和訳ダイジェストが報告されています。ご参考になれば幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/a26f2be62c9e630fbb15f081efaf279c

たぶん、なんでもそうだけど、団体のトップがどれだけ多くの人と会っているかが協力しあえるポイントなんじゃないの。例えば、アメリカ大統領と日本総理大臣が会っていなかったら、日本人はアメリカを応援したりしないし、日本総理大臣も支持しないってことなんじゃないかな。これは、敵対関係にあったとしても、まったく会ったことがないとか、会える状況はないとか、そういうことだと、うまくいかない。孤立した団体は弱いよね。あと、日本全体としても、孤立化してもいるね。一番孤立していないところが勝っただけという消去法の結果だね。今回の選挙は。

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このページは、松永英明が2009年9月10日 20:29に書いたブログ記事です。
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