「物語」と一致するもの

「情人節」の由来【中国的バレンタインデー(1)】

 中国ではバレンタインデーは「情人節(チンレンチエ)」といい、日本のように女性が男性にチョコレートを贈るというのではなく、恋人同士がプレゼントし合う日となっている。というわけで、中国のサイトからバレンタインデー関連の記事をピックアップし、翻訳してみた。

 まずは「情人節」の由来と歴史について。

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新年明けましておめでとうございます

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 本年は「長文ブログ」として読みごたえのある記事やアイデアを提供していきたいと考えております。内容としては、個々の話題について掘り下げた「まとめ」記事、あるいはまとまった資料を目指していきたいところです。

年末年始のアクセス増に驚く

 さて、新年早々ですが、大みそかから引き続いてアクセスが急増しており、「特別なことがない限り、クリスマス以後、三が日明けまではアクセスが激減する」という自分の中の常識が2年続けて裏切られることとなりました。

 2003年末には、レコード大賞と紅白歌合戦に女子十二楽坊が出演し、1月2日には武道館コンサート、そして翌日「女子十二楽坊は十三人いた」とスポーツ紙に掲載されたことから、年末から年初にかけて女子十二楽坊関連記事へのアクセスが急増しました(現在、楽坊関係は独自ドメインへ移行)。

 今度もテレビ効果で、2004年12月31日、ビートたけしのTVタックル「嵐の大ゲンカ超常現象ファイナルウォーズ」で<2012年人類滅亡!? フォトン・ベルトの謎>が放送されたことから、フォトンベルトで検索しての来訪者数が異常なほど多くなっています。このウェブログでは一貫して「フォトンベルトは存在しない」ことを証明してきましたが、関連記事は以下のとおりです。

 これからも読みごたえのある記事、資料的価値のある記事を提供できるようにがんばっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

読者を突き放す書籍『電車男』には「編集」がない――「電車男」は読者参加型恋愛シミュレーションゲームのリプレイ

 今さらであるが『電車男』を取り上げる。結論から言えば、書籍『電車男』は最低の手抜き本である。こんな素敵な担当編集者をけなすことになるのは極めて心外であるが、しかし、こんないい加減に作られた本も珍しい。

 「電車男」のストーリー自体はどうでもいいし、それがフィクションだろうとノンフィクションだろうと私には興味がない。今回は著作権の問題もとりあえずどうでもいい。単に「まとめサイトをプリントアウトしただけ」という部分が問題だ。

 これは書籍を作るのに欠かせない「ライター」と「編集者(エディター)」の役割のうち、エディターの要素が欠落した本ということだ。以下、詳細に述べてみたい。

電車男
電車男

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日本の女帝8人10代+4人の系譜 女性天皇即位の経緯を探る

 女性天皇を認めるか否かという問題が検討されつつある。そこで、今回は歴代の女性天皇(+α)についての即位の経緯やその治世についての状況を簡単にまとめてみた。今回取り上げた日本の女帝は以下のとおり。

  • 卑弥呼
  • 台与
  • 神功皇后
  • 飯豊皇女
  • 推古天皇
  • 皇極/斉明天皇
  • 持統天皇
  • 元明天皇
  • 元正天皇
  • 孝謙/称徳天皇
  • 明正天皇
  • 後桜町天皇
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二種類の文章を一緒くたに論じるのはおかしい

 そこで美術的文章と実用的文章の間には、二つをごっちゃにできない厳然たる壁が存在していて、その壁が二つを明白に区別している。

 つまり、実用的文章の側からいってみると、実世間における直接の任務の有無ということがその壁に示されている。また、美術的文章の側からいってみると、美感の有無ということがその壁に大書してあって、人に美感を与えない文章はこちらに入ってはならん、と拒絶しているのである。

 この美術的文章と実用的文章では、その目的が各々異なるので、おのずからその性質や機能や色彩や様子がみな異なってくる。で、二者を混同してしまって一緒くたに論じることは不可能で、かつ不合理なことである。

 例を上げれば、数理を解くときの文章は実用的文章で非美術的文章であるし、詩はもとより非実用的文章で美術的文章である。

 そこで、数理を解いた文章にもし論理の筋道が幽玄で補足しがたいところがあったりなんかしたら、大いに責めとがめなければならない。しかし、詩の方では、感じが曖昧模糊としてさえいなければ、論理の筋道はいささかぼんやりしていて隅々まで明白でなくても、さほどとがめられないのである。ちょうど、地図は正確明瞭でなければ不可だが、絵は雲・霧が山川を覆うところを描いても差し支えない、というのと同じ道理である。

 さらに一つ例を挙げてみるならば、美術的文章の方では擬古文というのも許される。すなわち、場合によっては荘重でありたいという希望から、非常に古い言語や文字や文法を用いて書いても、それはそのやり方で成功さえしていれば、別にとがめ立てはしないのである。しかし、実用的文章の方では擬古文は不可としなければならない。『書経』や『左伝』の調子で数学の本を書かれたり、『源氏物語』や『伊勢物語』のような文体で商業視察の報告を書かれたりしたら、実に困ることになるから、絶対に排斥しなければならない。「鄭伯、段に鄢に克つ」というような調子や、「……あんなれ」「……べかんめる」などという古くさい文体を持ち出されたりした日には、実際世界の用事は果たせない。それゆえに、美術的文章の方では擬古文を許しても、実用的文章の方では擬古文は許せない。

 そこで、実用的文章と美術的文章の二種類の文章を一緒に論じることはできない、という結論になる。しかし、この事実を無視して、ただ一つの「文章」という言葉なんだから、文章とさえいえば同じもののように見なしてしまって、それでいて修辞法や作文法を教えるなどと言っているものがいるのは、本当に大づかみの議論で、詳細を尽くしていないと思われる。

 つまり、同じ定規をもって取り扱うことのできない、まるで異なった性質のものを、一つの定規で律しようというのは、元来無理である。

 古来、このことを無視して文章を論じたり、あるいは作文法を教えたりしているのは、たとえば兵士と農夫とは志すところがおのおの異なっているのに、二者を混同して論じたり教えたりするようなもので、不合理であることは言うまでもない。田んぼで耕し、収穫するときの態度と、戦場においてかけずり回るときの態度を一緒にすることはできない。鋤をとって土をいじる道と、剣・戟を振るったり銃砲を扱ったりする道とは、その精神も異なっていれば、手段も違っている。作業も違っていれば、希望するものも違っている。それを同一にしてしまって、「田んぼを耕す動作が遅い。戦場で駆けるように敏捷にすべきである」などといったところで、それは気が狂ったような言葉であるし、小銃の持ち方を教えるのに「鋤の持ち方のようにすべきだ」と言ったならば、それも気の違った言葉であろう。

 で、そんな馬鹿げたことは誰も言ったりしない。しかし、文章ではちょうどそれと同じような論じ方や教え方をしていて、それでも不思議に思っていないのが世間の常である。習慣が長くなると何ごとも疑わないものであるが、美術的文章と実用的文章を同列に論じたり教えたりするようなのは、実に不合理である。

フォトン・ベルト本の著者自身が実在を否定

フォトン・ベルトの真相―2012年12月22日のためのアセンションを書いたエハン・デラヴィ氏は自身のサイトReal Age Worldという音声データを公開している。そこでは、フォトン・ベルトの存在そのものは明確に否定されているのである。

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フォトン・ベルトVS銀河スーパーウェーブ

フォトン・ベルトは「銀河スーパーウェーブ理論」をパクっていい加減な思いつきを加えたものだ――という資料がある。銀河スーパーウェーブ理論とは、ポール・ラヴィオレット博士(Ph.D. Paul A. LaViolette)が提唱しているもので、銀河の中心から発された高エネルギー波によって地球は周期的に大異変に見舞われるというものである、らしい(というのも日本語文献が見当たらないので自信がないのだが)。ただ、それをフォトン・ベルト理論がこれを盗用し、ゆがめていることはまぎれもない事実のようである。

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フォトン・ベルトは天文学的にありえない

 フォトン・ベルトについてシカゴ大学天文学部に在籍する天文学者が詳細に矛盾を指摘したデータがありました。ニュースグループでNanomiusという人がフォトン・ベルトについての質問をしたのに対する徹底的な回答です。1995年2月の「The infamous photon belt」という長い投稿のほとんどを訳してみました。

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プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く

 フォトン・ベルト伝説の中で、何が真実であり、何がウソなのか。発端となった「フォトン・ベルト物語」から1年半の後に公開されたクレア・ウィリアムスの記事「プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く」The Pleiades in Fact & Fiction -- Exploding the myth of the Photon Beltが非常にわかりやすいので、全訳してみた。

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フォトン・ベルト物語――世界最初のフォトン・ベルト文献

 フォトン・ベルト神話は、一人の女子大学生の記事から始まった。

 1981年、オーストラリアのUFO研究会誌に掲載されたシャーリー・ケンプ(Shirley Kemp)の『フォトン・ベルト物語(The Photon Belt Story)』という記事である。それは10年後の1991年、オーストラリアの有名な神秘系雑紙「ネクサス」(オーストラリアの「ムー」といった方がわかりやすいか)に再録され、そこからフォトン・ベルト神話が広まっていったのだった。

 今回、フォトン・ベルト神話の「原典」ともいえる「フォトン・ベルト物語」を全訳したい。原文はここここにある。

 そして、この記事についての批判「プレアデスの事実と虚構――フォトン・ベルト神話を打ち砕く」も必ず合わせてお読みいただきたい。

★追記:このサイトでの一連のフォトン・ベルト関連記事は、すべて「フォトン・ベルトは存在しない」ということを主張するためのものです。誤解なきように願います。

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