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No.104:世田谷の八幡宮の謎(1)

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◎古墳まつりと八幡塚

10月16日(土)、17日(日)の二日間、世田谷区立野毛町公園内の野毛大 塚古墳で「古墳まつり」が開かれました。

多摩川に近いこの野毛大塚古墳は都内では有数の古墳です。まあ、奈良で 生まれ育ち、母方の祖父母の家が大阪府堺市の履中天皇陵古墳の近くにあ ったという環境の私からすれば、古墳というのが身近にない方が不思議な 感じなのですが、23区内にある古墳を見るとやはり登って遊びたくなりま す(そういえば、小学校のころは藤ノ木古墳に友達と一緒に登って遊んだ こともよくありました)。

というわけで野毛大塚古墳に登ったりした後、世田谷区教育委員会の方の 案内で「野毛古墳群散策」に行きました。この一帯から大田区の多摩川駅 近くまで、多摩川沿いの丘の上に古墳群があります。その中で今も形をと どめているいくつかの古墳をめぐるというコースでした。

当日歩いたコースはこちら

(古墳群散策の解散後も勝手にずいぶん歩いています)

このあたりの詳細はまた改めて報告するとして、このコースの最終地点が 「八幡塚古墳」と呼ばれる場所でした。

八幡塚という名称は、この古墳が宇佐神社の一画にあることから名付けら れています。宇佐神社はすなわち八幡神を祀った神社であり、八幡宮・八 幡神社と呼ばれる神社と同じ系列の神社ということになります。

そこで、私は宇佐神社の地形を確認しました。そして、今までの仮説と一 致することを発見したのです。

◎「世田谷区の八幡神社は丘の南斜面?」

実は少し前から世田谷区内の八幡神社について、ちょっと気になることが ありました。というのは、「八幡神社が丘の南斜面に置かれているのでは ないか」という仮説です。

下北沢に近い二つの神社、北沢八幡神社と代田八幡神社は、いずれも北か ら南へ延びる丘の最南端、急に下がって低地に下るところに建てられてい ます。北沢八幡の場合はすぐ南を北沢川が流れており、これはまさに谷・ 沢のすぐ北に神社があるということです。また、代田八幡は環七のすぐ横 にあり、これも代田の丘が急に下って梅ヶ丘の低地に下りる境界のところ にあります。

しかし、八幡神社、あるいは神社というのは別に「丘の南端」にあるとは 限りません。たとえば、最近「妖精が見える神社」という奇妙な都市伝説 で話題の「大宮八幡宮」(杉並区)は、北側を川が流れており、神社のす ぐ北が崖になっています。つまり、「丘の北端」にあるともいえます。

あるいは八幡神社の本家本元、大分県の宇佐八幡神社も北側を寄藻川(呉 橋川、月瀬川、浅瀬川)が流れており、東側をその支流が流れていますが、 丘の南斜面にあるわけではありません。

では、北沢・代田が共通しているのは単なる偶然かとも思ったのですが、 そういえば宮の坂駅の名前の由来ともなった世田谷八幡神社は、やはり丘 の南斜面にあり、その隣の「宮の坂」は北から南に下っています。

「世田谷七沢、八八幡」という言葉もあると聞きました。どれが七つの沢 でどれが八つの八幡神社かは正確には定まっていないようですが、北沢・ 代沢・世田谷の三つの八幡神社は由緒も古いようで、「八八幡」のうち三 つに含まれることは間違いないでしょう。その三つが揃って「南斜面」と いうのはどういうことか……?

ゲニウス・ロキ探偵、調査開始です。

◎宇佐神社

そうして野毛古墳まつりに戻ります。このとき、実は八幡神社とはまった く関係ないと思っていたのですが、さにあらず、何とゴールが「八幡塚古 墳」……どう考えたって八幡神社と関係あるはずだ、と思ったら、実際に そこに宇佐神社があったわけです。

古墳群散策が解散になったあと、多くの参加者はそのまま野毛大塚古墳の 方に戻っていったのですが、私は宇佐神社の方へ下りていきました。

その境内はまさに「野毛の丘陵地帯の南端」にあり、多摩川方面の低地が よく見えます。鳥居は丘の下、神社は丘の斜面、そして台地の上に古墳が 築かれているという仕組みです。

このあたり、中沢新一氏の『アースダイバー』の読者の方であれば、ああ、 古墳時代からの聖地がそのまま後世にも神社という形で聖地として受け継 がれたのだな、それが位置する場所が丘の突端=「岬」であるというのも セオリー通りだな、と思われるかもしれません。

まあ、中沢氏の理論も結構思いつきの部分が多いのですが、今回ばかりは アースダイバー理論適合地となっていることは認めざるを得ません。

世田谷区内の八幡神社、北沢・代田・世田谷に次いで4つめの「丘の南斜 面に建てられた八幡神社」が確認されたのです。

この神社は、今から950年前、八幡太郎義家の父源頼義公の創建になると 伝えられているようです。第七十代後冷泉天皇の永承六年(1051年)に安 倍一族平定のためにこの尾山の地に陣を張り勝利を誓い、康平五年(1063 年)安倍一族を平定した後、ここに八幡社を建てて勝利を報告し、感謝し たのが始まりとされます。由緒は古いと考えてよいようです。

今回の写真はこちらを参照してください。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No104/ 最近のはてなフォトライフはアップロード時にどうも不具合があるようで、 うまく古い順に並んでくれないことがあります。写真ごとに説明をつけて いますのでご参照ください。

世田谷区尾山台 宇佐神社

◎田園調布八幡神社

この後、私は古墳群散策の続きとして、大田区の多摩川駅近くにある多摩 川台公園へと向かいました。ここには蓬莱山古墳・亀甲山古墳という大き な古墳のほかに、8つの小さな古墳群があり、さらに古墳展示室もあると いうので向かってみることにしたのです。

……古墳については後日の号に譲るとして、その途中、野毛の丘から田園 調布の低地に下りていったところに、もう一つの八幡神社がありました。 それが田園調布八幡神社です。

先にグーグルマップで「八幡神社」を検索したとき、この神社も見つけて いました(ただし、普通の検索では出てこない神社もあり、また宇佐神社 は検索しそびれていました)。そこで、せっかくルートから近いところに あるので寄ってみようと思ったのです。

雙葉学園のある急坂を下りて谷に下り、また丘に登り……というルートを 繰り返して、最後に北側から下るとその斜面に八幡神社が鎮座していまし た。

これもまた「丘の南斜面」にあったのです!

田園調布という地名自体は新しいのですが、かつては村の社として単に八 幡様を祀った神社として扱われていたようです。

その由緒は古いようで、神社の説明看板にはこう書かれていました。

田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の慶長年間(西暦一二四九~一二五 六)と伝えられる。この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、 国内基盤固めを行なっていた。各地では武士達はもとより村人達も幕府 に忠誠を示す意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで、多くの 八幡神社が建てられた。

 当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと ...今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入り江で、多摩川の水が滔々 と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしてい た。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭 谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一帯には多くの鎌倉武士 が駐屯し、鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の 地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所 であった。鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。 以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。

天正十八年(西暦一五九〇)小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏 照の旧臣、落合某がこの村に庵を結び、主家の冥福を祈った。そして、 寛永年間(西暦一六二四~一六四四)、落合某の孫、落合弥左衛門らに よりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。

 江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田ヶ谷領上沼部村に属し、明治 中期の四村合併まで村社であった。寛政四年(西暦一七九二)には、こ の村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの 地域の人々の心の拠り所として崇敬されてきたのである。

この説明を見ると、まさに多摩川の入り江の横の「岬」に当たる地形で、 これもまた台地の南斜面にあることは間違いないといえます。

今も神社境内のすぐ南を丸子川という小さな川が流れています。丸子川の 北は急斜面で丘、その南は多摩川の川原から広がる低地となっています。 (専門的にいえば、これは国分寺崖線ということになります)

田園調布八幡神社

◎いよいよ本格的調査へ……

というわけで、私がすでに知っている世田谷区内三つの八幡神社(北沢・ 代田・世田谷、いずれも区内東部)に加えて、世田谷区南西部の二つの神 社(宇佐神社、田園調布八幡神社)も見事に「丘の南斜面」であることが 判明しました。

では、他の八幡神社はどうなのでしょうか。 私が調べた限り、世田谷区の範囲には、 東部:北沢・代田・太子堂・駒留・世田谷 北部:勝利・八幡山・粕谷 南部:宇佐・田園調布・奥沢 の11の八幡神社があります(他の神社の境内の末社などは除きます)。

南部の神社は目黒区・大田区の八幡神社群につながりますが、いずれにし ても八幡神社は結構偏った分布を示しています。

その中で少なくとも5つの神社が「南斜面」。これは何かあるかもしれま せん。というわけで、10月23日、東部・北部の8つの八幡神社を自転車で 回ってきました。

そこで判明したのは、世田谷区内にも「南斜面」ではない八幡神社がある こと、そしてそこには一定の法則がありそうなことでした。

……以下、続く。


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