《松永英明のゲニウス・ロキ探索――「場所の記憶」「都市の歴史」を歩く、考える 》はまぐまぐで発行されているメールマガジンです。

2012年3月アーカイブ

No.113:南洋堂書店「東京の微地形模型」と上野「東叡山」

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このメルマガでも告知しておりましたが、昨年末より「グリーンライン下北沢」すなわち小田急線地下化工事によって生まれる30m×2.2kmの「あとち」についてのアイデア・提案を提出しようといろいろ資料を集めたりしていました。

わたしは当然「場所の歴史」を重視しますから、縄文・弥生以来の下北沢周辺地域の歴史を踏まえ、旧下北沢村・代田村の範囲の地形や歴史などを調べた上でその歴史を継承するような「あとち」案を出したいと考えました。

その調査の途中で、このメルマガで謎として提示してきたことが一つ、判明したように思われます。

その「謎」とは、本誌104号から107号まで追いかけてきた、「世田谷区東部の八幡神社は、なぜ丘の南斜面にあるのか」ということです。その理由を解明するには、実はいくつかの前提が必要でした。

その前提の一つは、昨年8月に神田神保町の南洋堂書店で開催された「東京の微地形模型展」と、そこで聞いた話です。それが、今回調べた「下北沢村・代田村の歴史」特に両村の字名の変遷と組み合わさったとき、世田谷区東部の八幡神社がなぜ丘の南斜面にあるかという謎が解けたのです。

その謎解きの結論については少々お待ちいただくとして、今回は「東京の微地形模型展」の話を(半年のタイムラグで)いたしましょう。

実は、この微地形模型展では八幡神社の件とは別の謎が一つ解けたように思ったのです。

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