ゲニウス・ロキ探索

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ゲニウス・ロキ

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No.113:南洋堂書店「東京の微地形模型」と上野「東叡山」

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このメルマガでも告知しておりましたが、昨年末より「グリーンライン下北沢」すなわち小田急線地下化工事によって生まれる30m×2.2kmの「あとち」についてのアイデア・提案を提出しようといろいろ資料を集めたりしていました。

わたしは当然「場所の歴史」を重視しますから、縄文・弥生以来の下北沢周辺地域の歴史を踏まえ、旧下北沢村・代田村の範囲の地形や歴史などを調べた上でその歴史を継承するような「あとち」案を出したいと考えました。

その調査の途中で、このメルマガで謎として提示してきたことが一つ、判明したように思われます。

その「謎」とは、本誌104号から107号まで追いかけてきた、「世田谷区東部の八幡神社は、なぜ丘の南斜面にあるのか」ということです。その理由を解明するには、実はいくつかの前提が必要でした。

その前提の一つは、昨年8月に神田神保町の南洋堂書店で開催された「東京の微地形模型展」と、そこで聞いた話です。それが、今回調べた「下北沢村・代田村の歴史」特に両村の字名の変遷と組み合わさったとき、世田谷区東部の八幡神社がなぜ丘の南斜面にあるかという謎が解けたのです。

その謎解きの結論については少々お待ちいただくとして、今回は「東京の微地形模型展」の話を(半年のタイムラグで)いたしましょう。

実は、この微地形模型展では八幡神社の件とは別の謎が一つ解けたように思ったのです。

No.112:「グリーンライン下北沢」と「七福神」

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前号に引き続き、グリーンライン下北沢について考えていきます。

2011年7月22日、「グリーンライン下北沢」のキックオフセミナーの第2回に参加していました。

「グリーンライン下北沢」キックオフ・連続セミナー
「鉄道あとち」が「あとち」ではなくなる未来に向けて

  • 第1回:7月9日(土)世田谷区案と上部利用検討委員会案の比較検証
  • 第2回:7月22日(金)上部(あとち)利用、今後の展望と話し合い

このとき、実際に「あとち」の模型を見ながら参加者みんなで思いついたことをぺたぺたと付箋で貼っていくというワークショップもあり、楽しい雰囲気の中でいろいろなアイデアが出ました。

この中で、今回取り上げたいのはある参加者が提案した「七福神のようなものを設定して、それをめぐるようにすれば楽しいのではないか」というアイデアでした。

わたしはこの意見には諸手を挙げて賛同します。七福神巡りはこのメルマガでも過去に扱いましたが(No.065:小石川七福神、No.066:深川七福神)、スタンプラリーがあるとついつい参加してしまうわたしのような人間にとって、いろいろ巡るポイントがあるというのは非常に魅力的です。

ただし、七福神といっても通説の七福神に従わなければならないということはないと思います。それよりは地元の伝承などを踏まえて作ってしまってもかまわないのではないかと思います。

上記の小石川七福神は平成七年(1995)に始まったものです。そもそも七福神のメンバー自体が江戸時代半ばにようやく確定したもので、それ以前には定説もしっかり定まっていなかったものです。

下北沢近辺の地域になじみの深い、平成の新しい七つの福の神を設定するのも、これまでの伝承を踏まえてさらに積み重ねるという点では面白いのではないかと思います。

そういうわけで、一アイデアとして「下北沢の新七福神」を考えてみました。本当は「スズナリの隣のカトリック世田谷教会の岩窟のマリア像」なども入れたいとは思うのですが、さすがにキリスト教を混ぜるのは無理かと思い、神道・仏教系に絞ってあります。同様に、東北沢よりも東で代々木上原駅の領域と思われるモスク「東京ジャーミイ」も入れていません。

No.111:「グリーンライン下北沢」とグリーンサークル

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前号に引き続き、グリーンライン下北沢について考えていきます。

小田急線の東北沢駅・下北沢駅・世田谷代田駅の三駅区間が地下化することにともなって、その地上部(あとち)の利用について「グリーンライン下北沢」を中心に議論が高まっています。

前号の最後で、ケヴィン・リンチによる都市の五つの要素を取り上げました。

  • 移動路=パス
  • 境界=エッジ
  • 地区=ディストリクト
  • 結節点=ノード
  • 目標=ランドマーク

線路はパスでもあり、同時にエッジでもあります。線路の進行方向に向かっては当然パス=移動路ですが、それを横切ろうとする瞬間、線路はエッジ=境界となってしまいます。

そのエッジが、あとちになることでエッジとしての性質を弱めます。それは地域のつながり方を変えることにもなるでしょう。

No.110:「グリーンライン下北沢」基本情報

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下北沢を中心とした再開発の動きの中で、いま「グリーンライン下北沢」を考える動きが活発になってきています。これからしばらく、この話題を追ってみたいと思います。

No.109:東北被災4県の都内アンテナショップめぐり

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当メルマガでは、昨年6月に2回にわたって「都内アンテナショップめぐり」
の記事を配信しました。

No.085:東京都内の都道府県「アンテナショップ」巡り(前編)2010年06月07日
No.086:東京都内の都道府県「アンテナショップ」巡り(後編)2010年06月14日

東京都内には都道府県の「アンテナショップ」が多数出店されています。
アンテナショップとは、もともと製品紹介や、消費者の反応を見るために
作られるショップのことで、どうやら和製英語のようです。

東京都内、特に日本橋・京橋・銀座・有楽町・新橋一帯のエリアには、都
道府県が出店しているアンテナショップが集中しています。これは地元の
観光ガイドや特産品紹介のみならず、企業誘致などのアピールを行なって
いるところもあります。

去年5月のアンテナショップめぐりでは、2日間で都道府県アンテナショッ
プ37軒(34都道府県)、総合的アンテナショップ5軒(うち1軒は営業時間
終了後)を回ることができました。このときのルールとしては、「同一都
道府県のショップが複数出店されているときには、必ずしも回らなくてよ
い」ということにしていました。その結果、長崎を除いて都内にアンテナ
ショップが展開されている都道府県はすべて網羅できたのでした。

さて、今回の東日本大震災では、東北の太平洋側沿岸を中心として大きな
被害が出ました。経済を回すことが大切だとも言われていますが、被災地
の産品を積極的に購入することができれば現地の収入を支えることにもな
り、一石二鳥とも考えられます。

そこで今回、特に被害の大きかった青森・岩手・宮城・福島のアンテナシ
ョップを、重複をいとわずにできるだけまわる計画を立てました。

No.108:東北新幹線新型車両「はやぶさ」試乗会

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本日、2011年3月5日に運行が始まった東北新幹線新型車両「はやぶさ」。
ネットでは「初音ミクと同じ配色だ」というような観点で注目が集まった
ことも思い出されますが、新幹線も世代を追うごとに流線型が派手になり、
航空工学的なデザインになっていくのが時代の変化を感じさせます。

さて、この「はやぶさ」試乗会があるということで、ダメもとで応募して
おりました。ネットから切符を予約できる「えきねっと」と、モバイル
Suicaの会員であることから当選確率はアップして4倍くらいになっていま
したが(ジパング倶楽部会員だとさらにアップのはずでしたが、さすがに
年齢制限あり)、当たればラッキーくらいの感じでした。

報道によると応募者数は当初の定員の実に60倍に及び、急遽当選者数を増
やしたもののそれでも56倍になったといいます。

ところがなんとその56倍の抽選に当たってしまったので、2月19日土曜日、
試乗会に参加してきました。

No.107:世田谷の八幡宮の謎(4終)自由が丘編

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◎世田谷区北部の八幡宮、最後の一つ

前回まで「世田谷の八幡宮のうち、吉良氏にゆかりのある八幡神社は、丘 の南斜面にあるものが多い」ということを実際に回っていきました。

  • 南☆○宇佐神社:創建年代不明:源頼家?八幡塚古墳あり
  • 東☆△駒留八幡神社:1308:北条成願
  • 東★○北沢八幡神社:文明年間(1469~87):吉良氏
  • 西☆×勝利八幡神社:1026or16世紀:鈴木氏?
  • 東★○世田谷八幡宮:1587:吉良頼康
  • 東★○代田八幡神社:1591:吉良家家人七家
  • 東★○太子堂八幡神社:文禄年間(1592~96)
  • 南★○田園調布八幡神社:1590/1624-1644:北条氏照の旧臣/奥沢城入口
  • 西☆×八幡山の八幡社:未詳
  • 西☆×粕谷の八幡神社:未詳

百パーセントではないものの、かなりの法則性が見られるように思われま す。そこで、2011年1月1日、初詣を兼ねて世田谷区八幡神社最後の一つ、 自由が丘・奥沢の奥沢神社を目指すこととしました。

ちなみに、事前に軽く調べたところでは、奥沢神社も吉良氏系の八幡神社。 さてどうなりますやら。

今回の写真はこちら。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No107/
どうも最近ははてなフォトライフがちゃんと「写真の撮影順」に並べてく れなくなってきたので困ります。前後混乱していますがご了承ください。 (写真のEXIF順にきちんと並べてくれてフォルダ単位で管理できるサイト があればぜひご教示ください)

今回歩いたルートはこちら。

No.106:世田谷の八幡宮の謎(3)

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◎世田谷区北部の八幡宮をめぐる

さて、前回まで「世田谷の八幡宮のうち、吉良氏にゆかりのある八幡神社 は、丘の南斜面にあるものが多い」ということを実際に回っていきました。

  • ○宇佐神社:創建年代不明:源頼家?八幡塚古墳あり
  • △駒留八幡神社:1308:北条成願
  • ○北沢八幡神社:文明年間(1469~87):吉良氏
  • ○世田谷八幡宮:1587:吉良頼康
  • ○代田八幡神社:1591:吉良家家人七家
  • ○太子堂八幡神社:文禄年間(1592~96)
  • ○田園調布八幡神社:1590/1624-1644:北条氏照の旧臣・落合某
     ※立地的には吉良氏による奥沢城へ至る港の所在地

というわけで、世田谷の北部にある残りの八幡神社を訪ねて、これまでの 法則が通用するのかどうか、さらに探っていきます。

地図はこちら。このルートの後半です。

写真は点数が少ないのですがこちら。 http://f.hatena.ne.jp/GeniusLoci/No106/?sort=old

世田谷八幡宮から経堂駅(小田急線)を越え、北へと向かいます。

No.105:世田谷の八幡宮の謎(2)

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◎少し間が空いたので前回のあらすじ

世田谷区野毛の大塚古墳で毎年開かれている「古墳まつり」。野毛古墳群 散策に参加したところ、終着点は宇佐神社の八幡古墳でした。それは北か ら南へ延びる尾根/丘の南斜面にあったのです。

実は少し前から世田谷区内の八幡神社について、ちょっと気になることが ありました。というのは、「八幡神社が丘の南斜面に置かれているのでは ないか」という仮説です。

「世田谷七沢、八八幡」という言葉もあると聞きました。どれが七つの沢 でどれが八つの八幡神社かは正確には定まっていないようですが、北沢・ 代沢・世田谷の三つの八幡神社は由緒も古いようで、「八八幡」のうち三 つに含まれることは間違いないでしょう。その三つが揃って「南斜面」と いうのはどういうことか……?

世田谷区南西にある宇佐神社(宇佐八幡宮が由来ですので、宇佐神社=八 幡神社と見なします)。1063年に源頼義が創建したという古い神社です。

もう一つ訪れたのが田園調布八幡神社。こちらは鎌倉時代(1250年ごろ) 創建で、鎌倉街道の要衝の地、多摩川の水がたまった良港で、舟の出入り を監視する場所に八幡神社が建てられたといいます。これもまた「丘の南 斜面」にありました。

No.104:世田谷の八幡宮の謎(1)

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◎古墳まつりと八幡塚

10月16日(土)、17日(日)の二日間、世田谷区立野毛町公園内の野毛大 塚古墳で「古墳まつり」が開かれました。

多摩川に近いこの野毛大塚古墳は都内では有数の古墳です。まあ、奈良で 生まれ育ち、母方の祖父母の家が大阪府堺市の履中天皇陵古墳の近くにあ ったという環境の私からすれば、古墳というのが身近にない方が不思議な 感じなのですが、23区内にある古墳を見るとやはり登って遊びたくなりま す(そういえば、小学校のころは藤ノ木古墳に友達と一緒に登って遊んだ こともよくありました)。

というわけで野毛大塚古墳に登ったりした後、世田谷区教育委員会の方の 案内で「野毛古墳群散策」に行きました。この一帯から大田区の多摩川駅 近くまで、多摩川沿いの丘の上に古墳群があります。その中で今も形をと どめているいくつかの古墳をめぐるというコースでした。

当日歩いたコースはこちら

(古墳群散策の解散後も勝手にずいぶん歩いています)

このあたりの詳細はまた改めて報告するとして、このコースの最終地点が 「八幡塚古墳」と呼ばれる場所でした。

八幡塚という名称は、この古墳が宇佐神社の一画にあることから名付けら れています。宇佐神社はすなわち八幡神を祀った神社であり、八幡宮・八 幡神社と呼ばれる神社と同じ系列の神社ということになります。

そこで、私は宇佐神社の地形を確認しました。そして、今までの仮説と一 致することを発見したのです。