「CD」と一致するもの
ことのは流「今年の重大ニュース」
時事ネタメインというわけではなく、気が向いたときに気が向いた話題を突っ込んで掘り下げるこのブログですが、今年の重大ニュースを振り返ってみましょう。
★このページは2004年版です。2005年版はこちら。
木村剛「転載こそネット流」理論は完全に破綻――隠された「安倍ぬすみ主義ジャイアニズム」
だから、そういう書き方がいやらしいと言ってるんですよ、木村剛さん。
週刊!木村剛 powered by ココログ: 「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?において、私が先日書いた「木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々」記事に対応すると思われる「反論」が掲載されているが、その書き方は前回指摘したいやらしい方法をそのまま踏襲している。
「読者の利便を優先」したいという木村剛氏は、「こうした手法に反対の方々も少なくないようです」「ネット界の重鎮の中には、「ネット社会に対する冒涜」と捉える方もいらっしゃるようで、ネット界もなかなかに難しいものだと感じさせられる今日この頃です」と書きながら、そういう風に「反対」している人たちが誰なのか、具体的にどのようにとらえられているのかということについては、お得意の「全文転載」どころか、リンクも出典の提示もまったくしない。この「謎めき系」のいやらしい書き方について、「先日のエントリー「トラックバックからの転載」に木村剛氏が反応したわけだが(笑わせんなヴォケが!)」でも「なぜ本文中にその旨の言及が全くないのか疑問です」と記されている。
まあそれはともかく、木村剛氏のコメントは真っ正面からの問題提起に答えていないどころか、完全に論理破綻したひどいものなので、以下に再反論しておきたい。
ネット世論・ネットのトレンドを生み出すアルファブロガー
FPN - ニュースコミュニティ- 日本のアルファーブロガーを探せ2004という企画が始まっている。アルファブロガーとは、ブログ界の世論に大きな影響力を与える少数のパワーブロガーのことのようである。
今回はブロゴスフィア(ブログ界)において影響力を持つ日本のアルファブロガーについて考えてみたい。
「博客」と呼ばないで!中国ブロガー「博客」呼称騒動――博客中国 vs CNBlog
『ウェブログ超入門!』にも書いたが、中国ではブログ/ブロガーを「博客(Boke=ポーカー)」と呼ぶ(中国語でbokeはボケではないので注意)。ハッカーが「黒客」というのと対比された表現だ。ところが、ここに来て「俺は博客じゃない!」と主張する騒ぎが大きくなった。「I'm not Boke」ちまちまボタンまで登場し、大変な騒ぎになっている。
しかし、これは単なる呼称問題ではない。中国ブログ界の2大勢力の論戦なのである。「博客」の名付け親で『博客』という本も書いている「博客中国」主催者・方興東氏と、それに対抗するCNBlogの主催者zheng氏・Isaac Mao氏の対立だ。
博客という訳語にはこれまでも議論があったが、今回は方氏の雑誌インタビュー記事にzheng氏とMao氏自身が反応したというトップ同士の正面衝突。その直前に「博客」表記を欧米に紹介した記事が登場していたことも、この騒ぎに火を注いだ。つまり、「博客」派・博客中国 vs アンチ「博客」派・CNBlogという背後関係を読み取る必要がある。
しかし、これは対岸の火事ではない。方氏はもともとオープンソース運動やクリエイティブ・コモンズを絶賛する情報開放主義者である。オープンソース志向のブロガーは日本でも多い。
一方で、方氏はブログを既成メディアに対抗する存在と位置づけているが、今回の流れでは「他人の記事を無断転載しすぎ」と批判されている。メディアへの敵対意識と、必要以上に多い長文転載といえば、木村剛氏を彷彿とさせるところもある。
また、この批判の中では「サービス側がユーザーの著作物を勝手に利用する」ことが明確に否定されており、これは最近の日本ブログサービスにおける著作権規定に関する騒動と共通している。
あるいは1年前に散々言われた「ITゴロ」「ブログゴロ」といった批判にも似たところがある。中国博客騒動は、決して他人事ではないのだ。
今回は非常に長くなるが、この「博客」騒動関連記事を時系列順に翻訳して紹介する。
日本の女帝8人10代+4人の系譜 女性天皇即位の経緯を探る
女性天皇を認めるか否かという問題が検討されつつある。そこで、今回は歴代の女性天皇(+α)についての即位の経緯やその治世についての状況を簡単にまとめてみた。今回取り上げた日本の女帝は以下のとおり。
- 卑弥呼
- 台与
- 神功皇后
- 飯豊皇女
- 推古天皇
- 皇極/斉明天皇
- 持統天皇
- 元明天皇
- 元正天皇
- 孝謙/称徳天皇
- 明正天皇
- 後桜町天皇
Excite エキサイト翻訳の「珍訳」対応表
エキサイト翻訳の中国語翻訳に日本語を放り込んでおいて中→日翻訳をするととんでもない訳語が出てくる、という話題が一部で盛り上がっているようだ。例えば、「ハードディスクドライブ」を中→日(日→中ではない)で翻訳すると、なぜか「玉を振ってしようがなく奴隷の朝の兵の玉を犯して牛乳を沸かしたときにできる膜をまねる」と出てくる。これについてブログ等で取り上げられた実例を列挙した後、その仕組みに迫ってみたい。
「知能指数が高い州は大統領選で民主党ケリーに投票」データの嘘を徹底解明
「DynamiteTV【海外ボツ!News】:知能指数と政治の関係」で紹介されたことがきっかけになって、日本でも「平均知能指数と大統領選挙の結果を照らし合わせた表」(出典はここ→IQ and Politics)が出回り、「ブッシュに投票する共和党は頭が悪い」という印象を裏付けるものとなっている。
しかし、この情報は嘘だ。「Richstyles!: 米大統領選の投票者とIQの相関はデマ情報」で鋭く指摘されている。
先日、木村剛氏が中越地震でのマスコミの振る舞いについての「噂」情報を、検証することなく「真実」としてブログに書いた騒動があったが(木村剛の「マスメディアへの対抗意識」は時代錯誤。中越地震マスゴミ批判記事を検証する参照のこと)、今回のブログ界でのデマ流布と共通するのは「自説を強化する情報は検証することなく、真実・事実として広めてしまう」傾向があるということだ。木村剛氏にとって、中越地震被災地でのマスコミの傍若無人な振る舞いを描いた情報は「おいしい」ものだったし、「ブッシュに投票するなんて頭悪いんじゃないの?」と思っている人(まあ、私もそう思ってるんだが)は「民主党に投票した州はIQが高い」という表を見ると「やっぱり」と思ってしまう。
そこで「ちょっと待てよ」と思えるかどうかが「メディアリテラシー」を発揮できるかどうかの境目だ。特に自分にとって都合のいい情報、おいしい情報のときほど疑ってかかる必要がある(都合の悪い情報、嫌な情報ならどうしたってあら探ししたくなるものだからね)。
今回は、Richstyles!さんで紹介されていた「検証サイト」のブログ情報を全訳してみることとする。
非常に大量のデータであるが、じっくり読んでいただきたい……というところで最初に警告しておく。読めばわかるとおり、この著者Steve Sailer氏は明らかに共和党支持的論調でこの検証を行なっている。つまり「間違ってたじゃん!」とこの情報を真実として流すならば、今度は共和党のプロパガンダの片棒を担ぐことになってしまうわけだ。さあ、あなたのメディアリテラシーはいかが?
- special thanks to 渋谷系@はてな
- http://d.hatena.ne.jp/bmp/20041109
- http://d.hatena.ne.jp/bmp/20041110#1100084873
- http://d.hatena.ne.jp/bmp/20041111#1100113237
- ↓ここ以下すべて元ページの翻訳であり、訳者の見解ではありません。
中国の日本観光ガイド『日本での遊び方』
外国人は日本をどう見ているか。それを知るには、観光ガイドというのは面白い視点ではないか、と橋本大也さんが書いている。
Passion For The Future: 日本はどう報じられているか(2004年09月28日)
ところでニュースや新聞報道以外では、実は観光ガイドというのは大きな影響力を持っているのではないだろうか。日本にわざわざ出向く人たちは潜在的な日本の布教者であるはずだ。
以前、米国の本屋で日本の観光ガイド本を購入したことがある。
帰りの飛行機で日本は米国でどのように紹介されているのか、興味深く読んだ。至って真面目な本で、日本のサービス業従事者の就業意識に触れ、「チップの小銭を渡すのは失礼に当たるが、よく考えると良い文化だ」という自文化の見直しなどもあるのだが、奇妙な記述も混ざっていた。
各国の日本観光ガイド本の中身の比較、もう少し調べて見ると面白いかもしれないと思った。
今回、上海書城で2冊ほど、中国人向けの日本観光ガイドを入手したので、その内容を紹介してみたい。
Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編
3編ほど愛国についての記事を書いたところ、いろいろ反響がありました。最近の事件を話題に触れたため、どうもその件について中国を擁護しているかのような誤解を招いたこともあり、また私の前提としている考え方がどうも一般的でないことがわかってきたこともあるので、前3編は一旦ボツとしたいと思います。
そして、改めてこのエントリーにて、私の愛国心論について改めて清書してみたいと思います。ただ、これもまだ完成稿とは言えないでしょうが。
偽りの「愛国」、隣国への嫌悪
※この記事は草稿としてボツにしました。Gypsy Blood「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編にて改稿しています。
本当はこういうことは書きたくない。政治的にセンシティブな話だし、ややこしい議論に巻き込まれたり、感情的になった右・左の人たちから脊髄反射的な攻撃を受けたりしかねないからだ。しかし、今、言わなければいけないように思う。
本当の愛国というのは、隣国を嫌ったりバカにしたり粗を探したりすることではなく、自分たちを一層磨き上げ、隣国から尊敬される人になっていくことではないのか? 自称「愛国者」たちは、他人(の属するラベル)に対する悪口を言わなければ自分のアイデンティティを保てないほどおちぶれてしまったのか?