「わかる」と一致するもの
CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない
「CLANNAD」という名前のゲームが売れているようである。クラナドといえば、かのエンヤも一時期所属していたアイリッシュトラッドの有名バンド名であり、それがなぜか恋愛ゲームのタイトルにつけられている。
問題なのは“「クラナド」とはゲール語で「家族」を意味する”と会社側が説明している(Amazonの解説にも正式に載っているし、シナリオライターの麻枝准氏も「pre-CLANNAD」で述べているようである)。だが、「クラナド」とは固有名詞であり、「家族」などという普通名詞ではないのだ。
CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない
別の場所で事前に書いていたとおり、実験は終了いたしました。完全に消すとまた何だかんだ言われますので、一応データを保存しておきますが、こちらが正式版です。
【表現がきつかったところは謝罪します。ここで明らかにした事実関係が変わるわけではありませんが、不快感を与えたことをお詫びして訂正します。
「CLANNAD」という名前のゲームが売れているようである。クラナドといえば、かのエンヤも一時期所属していたアイリッシュトラッドの有名バンド名であり、それがなぜか恋愛ゲームのタイトルにつけられている。(但し18禁でないと明らかになったのは発売2カ月前)エロゲー
問題なのは"「クラナド」とはゲール語で「家族」を意味する"と会社側が説明している(Amazonの解説にも正式に載っているし、シナリオライターの麻枝准氏も「pre-CLANNAD」で述べているようである)。だが、「クラナド」とは固有名詞であり、「家族」などという普通名詞ではないのだ。これだけでも不快だが、クラナドのファンにとって、今回のKey((株)ビジュアルアーツ)社のトラッドこの間違いは看過しがたいものである。暴挙は見逃すことのできない冒涜行為である
海外からの還流を防ぐ必要なし。グラフで見る輸入盤問題
こういう問題については、図解にするとわかりやすいというのが最近の流行ですね。
「還流防止」を必死に推進しようとしている「日本レコード協会」が発表している数値を使って、この問題に関するグラフを淡々と作ってみました。
以下、解説。
「絵文録ことのは」について
- ●概要
- 「情報を編集する」という観点でものごとを見ていくウェブログ(ネット上の記録)です。編集・執筆についての話、他の人に情報を伝えるためのデザイン、情報加工、メディア・リテラシー、マスコミ報道に関するチェック記事などの話題を取り上げています。もっとも、興味深い内容についてはジャンルを問わず扱います。
アフィリエイトには、アクセスよりもクリック誘導と適切な商品が効果的
アフィリエイトについて「アクセス数も必要だけど、それだけ強調するのはどうか。むしろ数より質の傾向があるように思う」ということを「木村剛氏は「アフィリエイト」をわかっていない――ブログに向かないシステム」で書いたところ、ある有名ブログ(匿名希望なので仮にKとする)の方から「いや、AdSenseではやっぱりアクセスに比例しているのではないか」という反論をいただいた(こういう実のある議論は大歓迎である)。
そこで、当サイトのAdSenseとアマゾンの実績をグラフで示しつつ、そのあたりを検証してみることにしよう。
木村剛氏は「アフィリエイト」をわかっていない――ブログに向かないシステム
もう2週間ほど前の記事ではあるが、週刊!木村剛: 「週刊!木村剛」にトラックバックして、アフィリエイトでおカネ儲けしよう![ゴーログ]という記事がある。私は木村剛氏をブログでしか知らないのだが、「金融・企業財務に関する総合コンサルティング」「経済同友会企業会計委員会委員長」といったプロフィールからすると、経済のプロのようである。
しかし、この記事を読む限り、木村剛氏はアフィリエイト・プログラムがどういうものか、まったく理解していないようなのである。
長文を自動要約してみる
しばさんが「「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」」という記事があると教えてくれた。
長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。
とあるので、今後、チェーンメール化する可能性がある。しばさんは「チェーンメールはいかなる場合も不可」派と「場合によってはOK」派の論争が起こるのではないかと考えているようだ。
で、私は何を思ったかというと「今はこんな長文を読むヒマがないので、要約はないかな」ということだ。で、Microsoft Wordの機能に「要約の作成」があるのを思い出した。そこでいくつかの要約を作ってみた。なお、ちゃんとした全文は引用もとでちゃんと読んでください。また、私はここで書かれている内容に対する評価は一切行なっていません。単に「要約機能ってどの程度効くの?」というだけの話です。
自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ
わたしたちは今、インターネットという強力な情報ツールを手に入れています。「我々は自分で直接取材して真実を知るという手段を持たないのだから、マスコミ報道を信じるしかない」と主張する人たちがいますが、インターネットを使える人がそのようなことを言うのは恥ずかしいことです。検索すれば、少なくとも複数のメディアによる報道内容が手に入り、比較検討することによって真実が見えてくることがあります。場合によっては当事者自身の発言や詳しい状況も判明します。
それは決して「マスコミは嘘をついている」という意味ではありません。「その気になればわたしたち自身による自己検証は可能だ」ということです。それによって「ああ、やっぱり報道は正しかった」と思うこともあるでしょうし、「ニュアンスが違うなあ」と思うこともあるでしょう。あるいは「この報道は意図的だ」とわかることもあります。
今回はパウエル長官の「自己責任」に関する発言についてこの続きで検証してみます。
パクリの芸術 歌舞伎の「世界」と「趣向」
正しいパクリ方論第二回。前回の正しいパクり方――藤原定家の「本歌取りの方法」に続いて、今回は歌舞伎の世界の話に入ります。
その前に私の個人的な「正しいパクリ」と「正しくないパクリ=盗用」の境界線を明確にしておくと、それは「他人の着想を自分のものとは言わない。他人のものを使ったことをはっきりわかる形で示す」「先人に対する敬意を払う」という精神があるか否か、が最大の基準で、それ以外の形式的なものはその精神を反映するだけのものという程度にしかとらえていません。したがって、先日の「iframe問題」も完全に「盗用」と考えています。(※利用した作品の作者が「名前を出さなくていい」「出さないでくれ」という場合でも、「自分が発想した」と言わないのが筋でしょう)
というわけで歌舞伎の話。
本のサイズと内容の組み立て
世の中にはいろいろなサイズの本がある。文庫とか新書とか単行本とか、ちょっと本棚を見渡してみればいろいろと目につくだろう。
実は、この本のサイズをどうするかということは、どのようなレイアウトでどのように表現するかということと非常に密接な関係がある。単に拡大・縮小すればいいというものではなく、内容や表現したいスタイルに合った大きさというものがあるのだ。
一冊の本というのは、単にその本文原稿だけではなく、レイアウトや文字の大きさや文字の配置といったものもすべて含めて、情報伝達の道具となっているのである。今回はこのことについて書いてみたい。