「言葉」と一致するもの
長文を自動要約してみる
しばさんが「「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」」という記事があると教えてくれた。
長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。
とあるので、今後、チェーンメール化する可能性がある。しばさんは「チェーンメールはいかなる場合も不可」派と「場合によってはOK」派の論争が起こるのではないかと考えているようだ。
で、私は何を思ったかというと「今はこんな長文を読むヒマがないので、要約はないかな」ということだ。で、Microsoft Wordの機能に「要約の作成」があるのを思い出した。そこでいくつかの要約を作ってみた。なお、ちゃんとした全文は引用もとでちゃんと読んでください。また、私はここで書かれている内容に対する評価は一切行なっていません。単に「要約機能ってどの程度効くの?」というだけの話です。
自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ
わたしたちは今、インターネットという強力な情報ツールを手に入れています。「我々は自分で直接取材して真実を知るという手段を持たないのだから、マスコミ報道を信じるしかない」と主張する人たちがいますが、インターネットを使える人がそのようなことを言うのは恥ずかしいことです。検索すれば、少なくとも複数のメディアによる報道内容が手に入り、比較検討することによって真実が見えてくることがあります。場合によっては当事者自身の発言や詳しい状況も判明します。
それは決して「マスコミは嘘をついている」という意味ではありません。「その気になればわたしたち自身による自己検証は可能だ」ということです。それによって「ああ、やっぱり報道は正しかった」と思うこともあるでしょうし、「ニュアンスが違うなあ」と思うこともあるでしょう。あるいは「この報道は意図的だ」とわかることもあります。
今回はパウエル長官の「自己責任」に関する発言についてこの続きで検証してみます。
パクリの芸術 歌舞伎の「世界」と「趣向」
正しいパクリ方論第二回。前回の正しいパクり方――藤原定家の「本歌取りの方法」に続いて、今回は歌舞伎の世界の話に入ります。
その前に私の個人的な「正しいパクリ」と「正しくないパクリ=盗用」の境界線を明確にしておくと、それは「他人の着想を自分のものとは言わない。他人のものを使ったことをはっきりわかる形で示す」「先人に対する敬意を払う」という精神があるか否か、が最大の基準で、それ以外の形式的なものはその精神を反映するだけのものという程度にしかとらえていません。したがって、先日の「iframe問題」も完全に「盗用」と考えています。(※利用した作品の作者が「名前を出さなくていい」「出さないでくれ」という場合でも、「自分が発想した」と言わないのが筋でしょう)
というわけで歌舞伎の話。
ページ盗用問題
「第十惑星」セドナ(仮)の発見者は、惑星と考えていない
「第十惑星」と報道されたセドナ(仮)の発見者の一人、カリフォルニア工科大学のマイク・ブラウン氏自身のサイトによると、彼らはセドナを惑星とはみなしていない。惑星に準ずるものである、と考えているようである。また、セドナの命名の由来も記されている。そこで、少し長くなるが、その全文を訳してみた。
画家が想像した遠く冷たいセドナ。太陽は赤い小惑星から80億マイル先の小さな点だ。近くに小さな月があると想定。/画家が想像したイヌイットの女神セドナ。海を支配する。
※2005年7月発表の「第10惑星」については「第10惑星」は冥王星より遠く、大きい。発見者による解説ならびに裏事情 [絵文録ことのは]2005/08/02を参照してください。
関連記事⇒ 第十惑星セドナ(仮)の伝説
第十惑星セドナ(仮)の伝説
米航空宇宙局(NASA)は、2002年秋にカリフォルニア工科大学の研究グループが見つけた冥王星の外側を回る天体について、太陽系の10番目の惑星だと確認し、米東部時間15日午後(日本時間16日未明)に正式に発表する。仮称として、イヌイット神話に登場する海の女神の名前から「セドナ」と名付けられた。「第十惑星セドナ(仮)」の名前のもとになった海の女神セドナについての伝説が各種ネットで発見できたので、3種類ほど訳してみました。ちなみにイヌイットとはエスキモーと呼ばれてきた人たちのことです。
共通するのは、
・娘が人間じゃない相手のもとに嫁ぐ
・父親と一緒に実家に帰ることになる
・追ってくる夫(鳥人間)が海を荒らす
・父親は恐れて娘を海に投げ出す
・娘はカヤックの端に手をかける
・父親がそれを切り落とす
・落ちた指はアザラシやセイウチやクジラになる
・娘は海に沈んで女神になる
というパターン。どうしてこれが十番惑星なんでしょう?
※2005年7月発表の「第10惑星」については「第10惑星」は冥王星より遠く、大きい。発見者による解説ならびに裏事情 [絵文録ことのは]2005/08/02を参照してください。
関連記事⇒「第十惑星」セドナ(仮)の発見者は、惑星と考えていない
翻訳ソフトを活かす法 [もの書きのソフト談義(3)]
あまりにも期待されすぎているがあまり、実際に使った人から「あんなものは使えない」という烙印を押されがちなソフトがある。翻訳ソフトとOCR(スキャナで読み取って文字変換するソフト)がその代表だろう。周囲の人からは「訳になってない」「誤字ばかりだ」という批判をよく聞く。
しかし、過度の期待をかけさえしなければ、どちらも非常に便利で、作業効率を飛躍的に上げてくれるソフトなのだ。実際、私の英語能力などはたかが知れているのだが、翻訳ソフトとタッグを組むことで、ケンブリッジ留学者より速く訳を仕上げたこともある。どうすればそれが可能になるのか。今回は、翻訳ソフトの使い方についてちょっと書いてみたい。
牛丼屋は130年前にも殺伐としていた(笑)
牛丼といえば殺伐。吉野家コピペのもとになった文章(2001/04/07付)から広まった話だが、実際に牛丼がもうないと聞いて暴れる奴とか、変なオーダーして逆ギレして警察呼んだ奴とか、まさに「吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ」というのがいつの間にか現実のものとなりつつある。
で、前回の百年前の牛丼屋のついでで、『東京新繁昌記』の「学校」の項目を見ていたら、どうやら130年前の牛肉屋(牛丼屋の元祖)でも殺伐とした光景が繰り広げられていたようだ。以下、前回と同じく現代語訳。なんか、今の2ちゃんねるあたりの低レベルなウヨ・サヨ論議とそっくりで笑える。
ゴーストライターとは何者か
「あの人の本は、ゴーストライターを使ったんだって」
こういうと、たいていはその著者を貶めるような雰囲気が出てくる。「あの人は偉そうなこと書いてるけど、実際に書いたのは別の奴なんだぜ」というふうに。
だが、ゴーストライターを使ったからといって、その本の価値が必ずしも下がるわけじゃないのだ。もちろん、非難されても仕方ないゴースト本もあるかもしれない。だが、少なくとも自分が請け負ってきたゴーストはまったく違うのである。
私は過去に数年間、ゴーストライターとして飯を食っていたことがある。ゴーストライターという「仕事」の実際について、少し説明してみたい。
「ウォッチャー」の権利など守る必要はない。儀礼的無関心2
以前「こっそりやっているサイトには、あえてリンクしないという配慮も必要ではないか」という話題が一部で取り上げられ、そのキーワードとして「儀礼的無関心」という言葉が使われるなど、いろいろ考えるところがあった。このサイト内でも「ネットでの儀礼的無関心」かコミュニケーション優先かという記事を公開した。
しかし、ARTIFACT -人工事実- 2004/01/31「ネット教習所をシステムとして作る-儀礼的無関心について-」を読んで、自分自身がその話題の発端を間違って受け取っていたことに気づいた。
アクセスが集中した小規模サイトが焦って記事を削除したり、サイトを閉鎖したりすることがある。そんなことがないように思いやりを持って、あえてリンクしないであげようよ……という趣旨だとてっきり思いこんでいたのだが、何のことはない、最初に言いだした人は「こっそり見る権利(チラ見)を失わせるな、と言ってる」のだった。要は覗き見である。その出歯亀行為を「公共の利益」にすり替えて議論が進められていた。このあたりを完全に見落としていたのは、私の大きなミスだ。
そこではっきり言わせていただく。「覗き見の」と。権利など、守る必要は一切ない
覗き見する先がなくなったからと言って文句を垂れるのは筋違いだし、ウォッチャーとしても恥ずかしい態度である。ウォッチ対象が潰れたら黙って次の対象を探すウォッチャーには何も言わないが、外からバカにして見ていただけの人が「せっかく俺が見ていたのに」と文句を言うのはおかしくありませんか?そして、それこそバカにされ続ける人の尊厳を損なう行為ではありませんか?